卒園生、保護者に
同仁美登里幼稚園での思い出や園への想いなどを書いて頂きました。

目次

卒園生

幼稚園の思い出 「どろだんご作りとチョコレート屋さん」(2018年度卒園 N.Yさん)

私は年中と年長のときに砂場遊びにはまり、外遊びの時は友達とどろだんご作りが好きでした。砂でお団子を作り、一日下駄箱で干して、次の日ヒビに水をつけて直しながら、白砂をかけてすべすべにします。何日もかけて、友達よりも大きくて、かたくて、すべすべのお団子ができたときは嬉しかったです。
チョコレート屋さんは、おなべに砂と水を入れて混ぜるのですが、本物のチョコレートがとけたようにできた時が楽しかったです。

妹が幼稚園に通うようになって、また幼稚園で遊びたくなりました。
幼稚園はとても楽しかったです。

幼稚園の思い出「サッカー」(2016年度卒園 K.Yさん)

年中からトラストユナイテッドというチームに入りサッカーを習い始めた僕は、毎日のように友達と園庭でサッカーをしていました。
少しずつサッカー仲間が増えていき、園庭でもサッカー、トラストでもサッカーという毎日を送っていました。
卒園後、小学校が別々になっても週3、4回はトラストでみんなとサッカーをしていました。それは6年生になった今でも続いています。

トラストのコーチからは、「みどり幼稚園ってすごいな!6年も7年も同じメンバーでサッカーするってありえないぞ!」と言われます。
各学年にみどり幼稚園の子が何人もいて、学年関係なく仲良しです。ずっと一緒にサッカーをしてきて、試合に勝ったとき、負けたとき、怪我をしたとき、ライバルだったとき・・・みんなとは見えない絆でつながっているような気がしています。

幼ち園では(2016年度 Y.Yさん)

園庭で幼ち園が終わった後も遊べたので友達と遊ぶ時間も多くなり楽しかったです!
また幼ち園でジュースを作りたまに飲んだり、干しがきを食べたり、おいもをやいたり…と楽しくおいしかったです!(笑)工作の材料があったり、木のぼりができたりツリーハウスもあってわくわくしました!

イベントではおもちをついたり、豆をまいたり、夕すずみ会をやったりしました!夕すずみ会ではフランクフルトを売ったり食べたり…と楽しいです!プールもありました!ページェントではみちびきの星をやりました!台にのって二人で歌ってとても楽しかったです。

幼ち園にはブランコ、ジャングルジム、すべり台、うんてい、木のしっかりしたアスレチックなどがあり、砂の山で遊ぶのが好きでした!遠くから走っていって山の頂上にのぼるのが楽しかったです!
他にはカレーを作ったり、衣装(ドレスなど)があっていろいろな種類の遊び方ができました。大きいつみ木で遊んだりもしました。
クラブでおかしを食べたり、あみ物をしたり、雨の日にはアルミホイルにキラキラの絵を書いたりして本当にたのしかったです!
ありがとうございました!

わたしの美登里幼稚園の思い出(2014年度卒 Y・Sさん)

私の美登里幼稚園での思い出は、友達や先生とおままごとをしたり、電車ごっこをしたことです。
また、たくさんの自然があり、公園ではできない木登りをしたり、いろいろな種類の虫をつかまえたことも楽しかったです。
入園したばかりの年少の頃は、お母さんのお腹には赤ちゃんがいて、1歳の妹もいました。
私だけが幼稚園に行くのが嫌で、泣いたこともありました。
そんな時、先生は抱っこしてくれたり、膝の上で絵本を読んでくれました。
私が落ち着くと、一緒に遊んでくれて、安心したのを覚えています。
今でも、学校がお休みの日に幼稚園に遊びに行っています。
年少さんの朝の支度を手伝ったり、みんなでおにごっこをしたり、一緒にお弁当を食べて楽しく過ごしています。
私は今年、六年生になりました。
一緒に遊んだ子が一年生で入学してきたので嬉しかったです。
これからも、学校や幼稚園で私ができるお手伝いをしていきたいです。

創意工夫を学んだ場所(2011年度卒 S・Kくん)

 美登里幼稚園の魅力は土の園庭、ビオトープ、大きなケヤキの木などの自然豊かな環境であり、何といっても自分がやりたい遊びを思う存分やることができることです。
 その中でも僕は ビオトープで遊ぶことが一番好きでした。
 ビオトープというのは、できるだけ自然に近い形で生き物や植物が生きられるように作られた人工の池のことです。卒園した後も幼稚園に行った時には、必ずビオトープを覗いてどんな生き物がいるか確認しています。
 今見るとそれほど大きくはないビオトープですが、季節ごとにたくさんの動植物を観察できるので、当時の僕にとっては夢がたくさん詰まった玉手箱のようで、いつもワクワクさせてくれる大きな存在でした。また外で遊べないような雨の日には、空きパックや箱などを使って自分が作りたいものをたくさん作りました。
 基本的に美登里幼稚園では「みんなで一緒にアレをやりましょう、コレをやりましょう」などと強制されることはないので、いつも自分がやりたいことや作ってみたい物の制作に取り組んだりしていて、自分なりに工夫して何かを作り出すことの楽しさをたくさん経験することができました。
 そのような幼稚園時代を過ごすことができたおかげで、川や海で釣りをすることや、自分で考えて作った仕掛けを使って生き物を捕獲したりすること、それらの生き物を生育環境の違う色々な水槽の中で飼育したり繁殖させること、自作した環境の中でカブトムシやヤモリを飼育したり繁殖させること、家庭菜園などを今でも楽しんでいます。
 そのため今では遊びはもちろん勉強なども、人に言われたことをその通りにやるということはあまりなく、自分で創意工夫してやっていくことが好きになりました。
これは美登里幼稚園で育ったおかげだと思っています。
 今、僕にはやりたいことがたくさんあります。例えば魚を繁殖させたり、釣りをしたり、自分で考えて何かものを作ることです。
 将来はできれば海や生き物に関わる仕事をしたいので、そのためにはどんな勉強が必要で、どこの高校や大学に行ったらいいのかを考えているところです。

大人には理解しがたい事を受け入れてくれた先生(2013年度卒 S・Tさん)

「すうちゃんは手がかかるから保育料2倍払った方がいいよ」
 これは、母の毒舌ママ友から言われた一言だそうです。(毒舌ママ友とは今でも連絡を取り合って仲良くしているらしいです。)なぜそんなことを言われたかというと、当時の私は自分でも恥ずかしくなるくらいひどかったからです。
 その頃わたしはいつも園から脱走することばかりを考えていて、唯一の脱走の近道であったフェンスによじ登り、その度に、園長先生、担任の先生、その他の先生に説得され連れ戻されるのですが、またその数分後にフェンスによじ登るという有様でした。
 両親の話では、朝家を出る時は「幼稚園は大嫌い」と逃げ回り、幼稚園に着くと今度は靴箱の所に自分で椅子を持ってきて居座ってみたり。(証拠の写真を見せられました。)おむかえの時はどこにいるかわからず(先生の第一声は「いま呼んできます」ではなく「いま探してきます」だったそうです。)先生方大人数で大捜索をして見つけると、都会に迷い込んだ猿を保護する様に、
「すぅちゃん、あっちにいったよ!!」
「そっちまわりこんでっ!!」
と、毎日大騒ぎだったらしいのです。親のもとに返されても
「まだ帰りたくないっ!」
と叫んで、また園庭を駆け回り、今度は親との追いかけっこが始まるのです。
「逃げるから追うのか、追うから逃げるのか・・・」
先生が母につぶやいたそうです。
 その他にも両親から聞いた幼稚園時代のエピソードはひどいものばかりで、先生方には申し訳ない気持ちで一杯です。
 そんな私が小6の夏休み、母のすすめでみどりクラブのお手伝いをさせていただきました。純真で素直で可愛い子供達ばかりでした。
 お手伝いに行った初日「あのすぅちゃんが来た!」と入れ替わり立ち替わり、当時の先生方が私に会いに来てくれました。
 ある日お弁当の時間に、玄関で「お弁当食べに行こう」と先生に説得されている男の子が居ました。私がその子と一対一で関わることになり、
「みんなとお弁当食べないの?」
「お弁当食べたらすぅすと一緒に遊ぼっか」
「席お隣にする?」
と声をかけると、「うん」と言ってくれて、仮面ライダーの話をしながら隣でお弁当を食べる事が出来ました。
 昔、先生を困らせていた私ですが、言う事を聞かないからと言って頭ごなしに怒られた記憶が無いので、私もこんな風に先生方からその時々の気持ちに寄り添ってもらっていたのかなと思います。
 美登里幼稚園は絶対にやってはいけない事はしかるけれど、子供のやりたい事(大人には理解しがたい事)を曲げずに先生方が受け入れてくれる場所だと思います。当時お世話になった先生方全員にとても感謝しています。今でも大好きな幼稚園です。

大好きな美登里幼稚園(2005年度卒 M・Sさん)

 私は現在、大学三年生で看護師になるために看護大学に通っています。美登里幼稚園を卒園したのは、14年も前のことですが今でも美登里幼稚園が大好きで、現在は併設している保育園でアルバイトをさせて頂いています。
 保育園を含めて美登里幼稚園はとても温かみのある園だと思います。
 私は幼稚園の頃、園庭で泥団子を作ったり木登りをしてよく遊んでいました。園庭は広く自然に囲まれているため、都会でありながらのびのび育つことができたと思います。
 先生方はとても優しく、美登里幼稚園での思い出は楽しいことばかりでした。当時お世話になった先生方、本当にありがとうございました。

保護者

そのときを待つこと(2023年度卒 2024年度在園 保護者Kさん)

もも組(年少)の我が家の娘は、はじめて植えた自分の朝顔をとても大切にしていました。
毎日欠かさず水をあげ、じーっと見ては、「つる伸びてきたかなー」とつぶやくも、なかなか大きくならない朝顔。
そしてその隣には兄が小学校から持ってきた、ベランダの竿にまで及ぶ、大層立派な朝顔が。
並ぶと同じ朝顔とは思えないほどで、少し寂しげな娘はだんだんと水を上げる頻度が減ってきてしまいました。

暑い夏が終わり、葉っぱも萎れてきて、結局一輪も咲かずに枯れてしまったなーと思っていた9月の最後の週末。
朝起きると枯れかけた葉っぱの先に、可愛らしいピンクの花が咲いていました。
娘は大喜びでスキップしながら久々の水やりをし、翌日にはもう一輪、またその翌日にはもう一輪と次々と花が咲いたのです。

大喜びの娘の横で、私は
あーこれは、美登里幼稚園の朝顔だなーと、
なんだかしっくりきてしまいました。

「その子その子にそれぞれ、その時がある、焦らずその子の時を待ちましょう」
以前先生との面談でいただいた言葉があります。
人を思いやるということは、すごくたくさんの経験を経てはじめてできることなのだと。
「自分がされたらどんな気持ちがする?」はまだ難しいんです、と。
まずは自分が痛かった、嫌だったという気持ちに気づくこと。
そして、日々の中で仲良しの友達ができて、
その友達が泣いている、嫌がっている、そこではじめて悪いことをしてしまったと心が痛み、相手はどういう気持ちなんだろうと考えるようになると。

時間はかかるけど、こうして培った優しさは、
実感を持って、子供の心の中にどっしりと残るものだなと強く思いました。

きぐみ(年中)の頃、毎日自分の知り得る悪態を並べ尽くして相手を罵っていた長男も、まだまだ怒ることはありますが、イヤイヤ期真っ盛りの弟の大暴れに巻き込まれても、〇〇が嫌だったんだね、気づかなくてごめんね
などと言うようになりました。
毎日どうしたらいいんだろうと悩んでいたあの頃の自分に、いつかこんな日が来るんだと伝えたい。

問題が起こる前に、その芽を摘むことの方がきっと安全かもしれない。
でも、実体験をもって、積み重ねてはじめて芽が出る心も沢山ある。

それをしっかりと安全に気をつけて、見守って下さる環境がこの園にはあって、
諦めずに辛抱強く、何度も何度も何度も支えてくれる先生がいる。

だから子供達はのびのびと思う存分言いたいことを言って、戦って、やりたいことができる。

きっとこの朝顔は、他の朝顔が枯れる頃も
強く咲き続けるに違いないと思います。

あまりにも咲くのが遅い朝顔に、
もう咲かないと家族中が諦めていたけれど
10月目前で花が開いたように、
「その時」は明日急にくるかもしれない。

ついつい今だけを見て、もう無理なのかなと途方に暮れてしまうけれど、
朝顔は諦めて、信じてやれなかったけど、
子供達のことは長い目で信じて見守っていきたいと思った秋の日でした。

お母さん、ありがとう ~大好きな美登里幼稚園の卒園生として、そして今は保護者として~
入園説明会より(2022年度年少在園生の母・1994年度卒 T.Y様)

初めに自己紹介を少しだけ…。

  • 美登里幼稚園出身です。
  • 2児の母です。(年少の男の子・もうすぐ2歳の男の子)
  • 特別支援学校教員の仕事を現在育休中で、来年度復職予定です。

今回は、大きく分けて3つのことについてお話ししたいと思います。

①卒園生として思うこと
②子どもたちのこと
③保護者として思うこと

長いですが(本当はもっともっと話したいくらいなのですが)、少しでも読んでいただけたら幸いです。

①卒園生として思うこと

まず、一卒園生としてお話しすると…
私は、私の母に、とても感謝しています。
美登里幼稚園を選んで、私を入れてくれて、本当によかった。ありがとう。という気持ちでいっぱいです。

自分自身の幼稚園生活は、楽しかった思い出しかありません。
怒られた記憶ももちろんなければ、泣いた記憶もひとつしかありません。(ホールにて、大きな積み木ブロックを跳び箱に見立てて跳んだときに、積み木も私も崩れ落ちてあごを強打し号泣しました。)
毎日思いっきり遊んで、たくさんの友達とたくさんの思い出ができました。
幼稚園時代の友人とは、ずっと親友で、今はお互い子どもに恵まれ、一緒に子育てを楽しむ仲となっています。

自分が親になって、地元に戻ってくることができたときから、自分の子どももぜひ美登里幼稚園にと考えていました。
正直に言うと、ほかの選択肢は一切ありませんでした。
それくらい、魅力的な幼稚園です。
ずいぶん先の話にはなりますが、私の子どもも、大人になってもし子どもが生まれたとしたら、やっぱり美登里幼稚園に…と思うのではないかな、と、そんなことまで想像してしまうような幼稚園です。
今、子どもと一緒に「みどりようちえんのうた」を歌える日が来て、幸せでいっぱいです!

②子どもたちのこと

入園をお考えになっている方のなかには、美登里幼稚園がお子さんに合うのか、素敵な幼稚園生活を送れるのかどうか、少し不安に思っている方もいらっしゃると思います。
が、きっと想像以上にエンジョイできると思います!

「元気いっぱいの子が良いんじゃないか」、「男の子が多いんじゃないか」、「自由すぎるとどうなんだろうか」…など、未就園の方がお話しされているのを聞いたことがありますが、どれも、「そんなことはないのに!」と感じます。
性別はもちろん関係ないですし、当たり前ですがいろいろな性格の子がいて、先生方はそれぞれのペースに寄り添ってくれます。
また、自由といっても、むやみやたらな自由ではありません。
自分で考え、自分で決める。それも周りの友達との関係のなかで。そして認め合う。
それは実はとても難しいことですが、自然に、気が付かないうちにできるようになっていく。
あたたかく見守ってもらえる環境があるからこそ成り立つ「自由」だと思います。

また、園庭のビオトープは、美登里幼稚園の子どもたちへの愛情を象徴していると思います。
私が園児のころはまだなかったものなのですが、ある園児の「あったらいいな」という声を発端に実現されたものだそうです。
そんなふうに、一人ひとりの子どもたちの見ているものや想像しているものを大切に、一緒に本気でおもしろがってくれる場所です。

だからこそ、どんな子でもエンジョイできると私は思います。

私自身の子どもについては…
入園式でたまたま席が前後だった子といきなり意気投合し、親友になりました。
入園式後の写真撮影が終わるなり園庭を駆け回り、幼稚園生活に胸を躍らせ、そのわくわくをそのままに、入園から半年経った今も、毎日全力で泥だらけになって楽しんでいます。
(おかげさまで、親は毎日全力で洗濯しています。)

毎朝園に向かいながら、「今日は〇〇もしたいし△△もしたいし…」といそがしそうにうれしそうに話してくれます。
でも、お迎えのときに、「〇〇と△△はした?」と聞くと、「しなかったよ!」の答えが。
きっと残念だっただろうと思うと、「そうじゃなくて□□をしたんだ!」と続きます。
決められた予定はほとんどないなかで、友達と自由に遊びが深まったり広がったりしているのはとても素敵なことだなと思います。
それを存分に味わって、「今日も楽しかったな~~!」としみじみ言う姿は本当に微笑ましいです。

もともと体を動かすことが大好きなので、ずっと外遊びをするかなと思っていたのですが、通い始めてからは工作やお絵描きも大好きになって、集中して取り組むことも多くなりました。
子どもの新たな一面を発見できるのも、自由に友達と影響しあって遊んでいるからだと思います。

また、憧れのお兄さんお姉さん(年中・年長さん)から学ぶこともたくさんあります。
たとえば、おたまじゃくしのすくい方。
春になるとビオトープにたくさん生まれてきてくれるおたまじゃくしですが、初めはなかなか捕まえられません。
でも、年長さんたちが上手に何匹もすくい上げる姿をじーっと見て…ついに、「今日は自分で捕まえられたよ!」とおたまじゃくしの入ったカップを見せてくれたときの誇らしげな表情。
学年もクラスも関係なく遊んでいるからこそ経験できることだなと思います。
もちろんそのあとは、「ビオトープにかえしてあげようね」と命への感謝も心に刻みながら。

季節の移ろいとともに自然と生きることができるこの環境は、何にも代えがたいなと感じます。
木の実をほおばってみたり、みみずをいっぱい集めてみたり…どれも、広々とした土の園庭だからこそできることです。

③保護者として思うこと

保護者の方々もさまざまな状況の方がいらっしゃると思いますが、行事への参加や係活動など、やっていけるのか不安もあるかもしれません。
私も、来年度復帰してからの生活がどうなるのか不安です。
でも、行事も係活動も含め、幼稚園との関わりはできる限り大切にし続けたいし、きっといろいろな方に助けてもらいながらなんとかなるのではないかとも感じています。

美登里幼稚園の保護者の方々は、みなさんとてもフレンドリーであたたかい雰囲気です。
特に面識がなくても、あいさつするのは当たり前。お話ししてみると、才能豊かで素敵な方ばかり。
私がいろいろな方とあいさつをしていると、「お母さんもお友達が多いねえ!」と感心している息子。
保護者同士のつながりが、いろんな意味できっと子どもたちにとってもプラスになっていると思います。
(私が入園説明会でお話しさせていただいたとき、下の子を連れて行きましたが、4月に出会って以降仲良くしてもらっている保護者の方々にずっと見ていてもらいました。)
ちなみに、係活動のときに保育中の様子が堂々と覗けるのは、最大の特権だと感じています。

最後に…

入園をお考えの方には、ぜひ美登里幼稚園で、3年間しかないお子さんの限られた幼稚園生活の時間を、家族で存分に満喫していただきたいなと思います。

個人的には、園生活がどのようなものになるかは自分たち親子次第だと思っています。
受けとめてくれる環境は充分すぎるほどあるので、少しの勇気と、信じる気持ちがあれば、美登里幼稚園での生活は最高に楽しいものになると思います。

ぜひみなさんと、またお会いできることを楽しみにしています!
長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました!

信じて任せてみんなの輪(2021年度卒園・2022年中在園保護者 N.T様)

 3歳、4歳の小さな子供にとって、1番難しいことって何だと思いますか??
 突然ですが、考えてみてください。皆さんのお子さんはこれから幼稚園の年少さんになります。色々なことが待ち受けています。服を着る、靴を履く、お弁当を食べる、順番を守る、先生のお話をしっかり聞く…どれもがなかなかのハードルだと思います。ところが私が思うに、年少さんになったばかりの子供にとって1番難しいこと、それは…

 「自分と他人は違う」

これを受け入れることだと思います。これがとても難しいのだなと(今も)日々感じています。

 人それぞれ思いは違います。「わたしはこうしたい」「ぼくはこうしたい」その思いがすれ違ったりぶつかったりして、喧嘩になります。喧嘩と言っても単なる殴り合いの喧嘩だけではありません。どうして上手くいかないのか、どうして仲良く一緒に遊べないのか、なんだかよくわからないけれどお互いの気持ちが食い違って、瞬く間に…ちがう!だめ!!やめて!!わぁあーん!!!となります。
 そんな時、我が子ならついつい「こらこら◯◯ちゃんダメでしょ…」と諭してしまいそうになります。ですが、美登里幼稚園の先生たちはまず「どうしたの?」の後に「どうしたかったの?」「なんて言いたかったの??」と、問いかけます。まず自分で自分の気持ちに立ち戻ってみると言うことだと思います。年長さんなら「だって、僕はこうしたいって言ったのに、◯◯くんがさあ!」とスラスラ話してくれるかも知れません。しかし、年少さんになりたての子なら、問いかけられてもきっと「………」と固まってしまうのではないでしょうか?「改めて聞かれてみると、どう説明したものか…」と戸惑ってしまうわけです。そこで、先生が今度は相手の子に問いかけます。「⬜︎⬜︎ちゃんはどうしたかったの?」するとその子が言葉を紡ぎ紡ぎ、なんとか説明します。そうするとまた最初の◯◯ちゃんに戻るわけです。「うんうんそっかぁ、◯◯ちゃんはどう思う?⬜︎⬜︎ちゃんのお話聞いてどう思った?」「⬜︎⬜︎ちゃん、◯◯ちゃんはどんな気持ちなんだろう??」あくまでひとりの保護者としての感想ですが、きっとそうすることによって、まず「自分の気持ち」に気づかせ、そして「相手の気持ち」に気づかせることを少しずつ、少しずつ、練習させているのだと思います。自分の気持ちを話すことを許されれば、子供はきっと安心します。責められているのではない、自分の気持ちを素直に話していいんだ!誰かに自分の気持ちを大切にしてもらった子供たちは、きっと他人の気持ちも大切にするようになると思います。というか、自分の気持ちを誰かから大切にしてもらった経験がないのに、他人の気持ちを思いやることなんてできるんでしょうか?自分の思いにはっきり気づいて、はじめて相手の気持ちにも気づけるんだと思います。その機会を何度も子供達に与えようとしている、美登里幼稚園はそんな幼稚園のように思います。私の感想ですけれどね。

 いや、もどかしいですよ!!はっきり言って。最初のうちは一体先生たちが何をしようとしているのか全然理解できませんでした。「いやいや先生、そんな場合じゃないでしょ、今の、うちの子何にも悪くないですよ!悪いのは向こうでしょ!早く怒ってくださいよ!!」こんな風に心の中で叫んでしまったこともありました。特に1人目の我が子が年少の時は、モヤモヤを抱えることも何度かありました。懐かしいですね。

 そこで思い出されるのが、 先生方の口から、園のお便りから、礼拝堂での集まりで、色々なところで耳にした「(子供達を)信じて任せる」という言葉です。任せてしまうのですか、恐ろしいですね…でもそれは、何もしないということではないんです。大事なところで大人の手は必要です。それがやはり「自分の言いたいことを言える」機会、「相手が言いたいことを聞く」機会を与えてあげることだと思うんです。そうすることで、互いによく話し合うこと、相手の言葉に耳を傾けて寄り添おうとすることが日常になり、当たり前になってきます。第一子の入園前、私が初めて美登里幼稚園に見学に来て、年長さんたちの遊ぶ姿を見た時、真っ先に思ったことがあります。「みんな相談が上手だなぁ〜。みんなよく自分の言いたいことを言葉にするなぁ〜…」と。そこに至るまでは、びっくりするような大喧嘩、大人たちのヤキモキ、そしてうんざりするような繰り返しと振り出しに戻る日々があったことでしょう。その賜物であることが今なら分かります。

 ところで、これを読んでいる方は「まるで全部見てきたかのように言いますね」と思っていらっしゃるかも知れません。そうです!というと語弊がありますが、ちょこちょこ見てきました。どうやって??
 美登里幼稚園には「ひつじの会」という保護者の組織があります。そこでの活動はクリスマス会や収穫感謝祭のお手伝いに始まり、講演会やイベントごとの企画、水やり、焼き芋、梅ジュースづくり、読み聞かせ、合唱…などなど多岐にわたります。自然と保育中に園へ立ち寄る機会も増えます。子供達相手の催物では、「あ、おかあさーん!!」「◯◯ちゃんのお父さんだ!!」と、子供たちが満面の笑みで手を振ってれます。そんな中で子供たちの普段の様子や先生方の様子も見ることができます。保護者同士も仲良くなります。孤独な子育ての日々の中、私自身も精神的に随分助けられました。そして、気づけば親も一緒になって「美登里の子」として成長しているのです。

 「園行事に保護者が関わるって大変じゃないですか?」イベント当日が近づくとやることも増えてくるので、忙しくはなります。特にお仕事をお持ちのお母様方はスケジュールの調整に苦労されることもあるかも知れません。それでも「みんなで美登里幼稚園を盛り上げたい!子供たちのために何かしたい!!」という方々が集まって、みんなで協力しながら支え合っているのが美登里の保護者たちです。
 互いの思いを尊重し、協力し合う子供たち。そんな子供たちを「みんなで一緒に育てよう!」という保護者と園との輪、その総体が美登里幼稚園だという気がします。どんどん話が大きくなってきましたが…

 親も子供も美登里っ子として、一緒に笑い、泣き、汗をかき、認め合い、支え合って、そして一緒に大きくなりましょう!そんな輪の中に1人でもたくさんのメンバーが加わってくれれば、いち保護者として嬉しい限りです。どうぞよろしく!ありがとうございました。 (2022年10月 入園説明会にて)

大切なパートナー、美登里幼稚園
(2014年度・2016年度・2020年度卒園、2022年度年中在園保護者 J.M様)

みなさん今日は美登里幼稚園にお越しいただいてありがとうございます。
私は現在年中組に娘が通っているN.Mと申します。それで今中学2年、小学6年、小学2年の兄たちもこの園でお世話になり、母親の私自身は10年目の美登里幼稚園に通っております。もう息子たちは、「俺たちじゃなくて、ママの幼稚園だね」と言ってるくらいです。

今日皆さんに何をお伝えしたら有益になるかを考えました。なんせ4人分話したらもう今日みなさんにここに宿泊してもらわないといけなくなりますから、それはさすがに避けたい、でもたくさんお話ししたいことがあります。 それで悩んだ結果、今中学2年の長男の話を特にしようと思いました。なぜなら私もそのときが初めての幼稚園生活の始まりで皆さんと共通することも多いと思ったからです。

長男はいい意味で感受性がとても豊かで、とっても敏感なタイプで、それでいて好奇心旺盛、すごくやりたい気持ちは強いという、なんとも扱いにくい男の子でした。幼稚園に通うことに対してはとても楽しみにやる気に満ちてましたが、いざ入園したら「まさかママと離れるなんて」と、泣いて泣いて、毎日下駄箱の前で泣きまくってました。

最初年少組は午前中で終わるんですが、私も帰れず、ずっと幼稚園におりました。帰りの会も一緒に過ごして、帰りの歌まですぐ覚えました。前半はそんな生活が続きました。いつになったら幼稚園になれるのか、毎日朝を迎えるのが気が重い日々、こんなことで息子はこれから幼稚園どころか、人生生きていけるのかとまで心配になってました。そんな中で担任の先生が息子の誕生日カードのメッセージに「Rちゃん、ゆっくりゆっくり大きくなってね」と書いてくれてたのを見て、衝撃を受けました。「ゆっくり」を2回ですよ、そんなゆっくりなんか大きくなってたら、気づいたら大人になってしまうじゃない?!とそれくらい初めて聞く響きにびっくりしました。そのころ、私はどちらかといえば、男の子だし、いろんなことをすぐにはやく習得して一日でも独り立ちしてほしい、それがいい成長ではないのか、と思って育児をしていました。なのに、「ゆっくり」だなんて、 古い昔の育児の考え方ではないのか、とまで思いました。

しかし、またある先生が息子の話を相談した時に、「Rちゃんの成長の時をいつまでも待ちましょうね」とおっしゃいました。親の私には気が遠くなる言葉でした。。
でも、その先生方がそのような考えのもとで接してくださるので、息子は徐々に幼稚園を信用し、自分のありのままの姿を出すようになりました。
ある時は、幼稚園で自分が何をして過ごしたらいいかわからない、という期間が続きました。それで先生が幼稚園の中を一緒に散歩してくださったらしいのですが、その時に「おんぶしてほしい」といったそうなんです。そうしたら、先生は「いいよ」とおんぶをして園庭をまわってくださったそうなんです。それがみなさん、うちの息子は幼稚園で1番というくらいビッグボーイだったんです。当時は5歳で23キロはあったと思うんです。私はそれを聞いたときにまた衝撃をうけて、「先生どうかやめてください、腰がこわれます。」といいました。すると先生はにこやかに「大丈夫ですよ。いろんな先生が明日は私がやるね、と言ってくれてますからみんなで交代で、Rちゃんの気持ちが納得いくまでやります」とにこやかにおっしゃるんです。

あとはこんなこともありました、私が3番目を妊娠している時のことです。あるお母さんから「今男の子の中で赤ちゃんごっこが流行っているらしいよ。」へーそうなんだ、うちには関係ないことだな、と思って聞いたら、発端はなんとうちの息子で、「赤ちゃんみたいに、先生に抱っこされて、よしよししてもらいたい。ミルクも飲ませてほしい。」といったそうなんです。さっきも言いましたが、20キロ超えの息子ですよ、しかも若い先生にそんなことを!と私は先生に謝罪しました。でも先生は「いんですよ、Rちゃんがやりたいことなんで、気が済むまでと思ってます」と言って下さいました。私はもう先生に頭があがりませんでした。彼は家では親にあまえたりしたことないんです。気づいたときには彼はお兄ちゃんで、また次は2人のお兄ちゃんになるし、むしろ親は頼もしくなってほしいと願うけれど、本人の中では自分だって甘えたいという気持ちがあったのかと知ることができて、その甘えたい気持ちをしっかり受け止めて下さった先生に心から感謝しました。
そういうわけで、年中組までは、感情をさらけだし、やりたい放題、たっぷりと愛情を注いでいただいて、ゆっくりとした時間を過ごしてきました。
そのおかげで、年長組になった時には自分の個性を発揮するようにもなり、クラスを盛り上げる存在となってきました。
当時三輪車を独占することが年長組の男子のステイタスでした。息子が「けやきの木に集合!!!」大きな声で叫ぶと、どこからともなく、キコキコキコと三輪車に乗った男たちがあちこちから集まってきて、「行くぞ!!」と言って、列をなして、園庭を夢中になって暴走する姿まで見られるようになりました。こんな光景をこんなに早く見ることができるとは思いませんでしたからびっくり仰天でした。
園を卒園するときには、「泣くわけない」と言ってましたが、最後先生方とお別れをする時には、先生やお友達の顔が見えないように窓を向いて大きな声で泣いていました。入園時、あんなに泣いていた時を考えると、大好きになった幼稚園と別れたくないと泣いていることが奇跡であり、素敵な幼稚園ライフを過ごせた証拠だと思えました。その後、入学してからは幼稚園のことで後ろを振り返ることは一度もなく、小学校生活を大いに満喫していました。

あれから8年が過ぎて、そんな息子がクラスをまとめる委員会を好きでやり続けています。毎日学校の運営にかかわり、忙しく奮闘しています。 
学校やクラスの困っていることを仲間と解決することがこの委員の醍醐味だそうです。
美登里幼稚園で過ごしたあの3年間が生きていく力になる根っこを作ったと私は確信しています。

「ゆっくりゆっくり大きくなればいい」と、大切な幼少期の心に寄り添ってもらい、時が来るのを待ってもらい、愛情を注いでもらった。その短い3年間で、ぐーーーんとあっという間に大きく成長しました。親だけではできない育児、その良きパートナーになっていただき、親ができないところはそのなり手となって下さり、一緒に子供を育ててもらえた、親までも育ててもらえた、この美登里幼稚園は我が家にとって かけがえのない大切な存在です。

皆さんも今、園探しをしながらあれこれ考えることがあると思いますが、自分と一緒に我が子を育ててくれるパートナーを探すような気持ちで、子供たちの未来を楽しみにしながら、この時を過ごすことが出来ますように願っております。
 長くなりましたが、これで私の話を終わりにしたいとと思います、ありがとうございました。
(2022年10月 入園説明会より)

美登里幼稚園で過ごせた幸せ(2020年度卒園・2022年度年中在園生のお母様 H.S様)

「都内にこんなにも自然豊かな広い園庭を持つ園があるのか」――初めて美登里幼稚園を訪れ、圧倒されたのは、今から8年前のことです。

共働きのわが家は娘を保育園0歳児クラスに入れるために、生後早々に保活をスタート。数々の保育園を見学する中、美登里保育園の見学にも足を向けました。

保育園の先生は保育園だけでなく幼稚園や幼稚園の園庭も一緒に回り紹介してくれました。その時印象的だったのは、広々とした園庭だけではありませんでした。子どもたちが、おもいおもいに遊ぶ姿に、「この園にわが子を通わせたい」と強く思いました。

実際に子ども達が通う中で、かつて保活で感じた園の魅力は想像以上のものだったと実感することがたくさんありました。

例えば「つづき札」。お弁当時間になり、一度お片付けが必要でも「まだこの積み木、崩したくないな」という時は、「続きを遊びます」というこの札を置くと、片付けをせずに遊びを持ち越せるというものです。小さな木の札ですが、子どもの気持ちを尊重したい、遊びへの意欲を大事にしたい、という園の方針をシンボリックに表していると感じています。

さらに、夏になると広い園庭に大きなプールが登場し、秋になると先生方が落ち葉を集めて園庭でたき火をし、焼き芋を作ってくれます。どちらも美登里らしいのは、プールに入る・入らないも、たき火を囲んで焼き芋を食べる・食べないも、子どもたちが自分の意志で決めて選択できる点です。

つづき札の通りおもちゃの片付けも、そしてプールも焼き芋も、先生が一律に管理をしたり、子どもを整列させ体験させたりするのではなく、すべて、子どもの意志と判断に任せるのが、美登里幼稚園。

こうした精神は、日々の保育の細かい所にまで生きていると感じました。一人ひとり尊重してもらえる環境の中で子どもたちはその都度、今自分はどう過ごしたいのかを選びます。「自分はこうしたいけど友達は違うみたいだ」といった葛藤や、時にケンカも経験しながら、わが家の子ども達は心の器を大きく成長させてきました。

こうした成長を親として実感できるものの一つが、日々空っぽになって戻るお弁当箱でした。ご飯をたくさん食べるようになって、お弁当箱のサイズを大きくしたこと。苦手で家では食べられない食材が、お友達と一緒に食べるお弁当だと食べられるようになったことなど、言葉では伝わってこない小さな成長の積み重ねを感じることができました。

また、行事やPTA活動で園に行った時に、大張り切りで手をふってくれる子どもの笑顔や、友だちと楽しそうに過ごす姿が見られたことが、親として良い思い出となっています。


共働きのわが家にとって正直お弁当は大変ですし、仕事が忙しい時に行事が重なると、調整が大変な時もありました。けれども美登里幼稚園には、子ども時代を存分に楽しみながら過ごし、成長していくことができる、宝物のような時間がありました。

そしてそんな時間を、親として関わりながら一緒に過ごせるという魅力を前に、日々の大変さより、仕事があっても美登里幼稚園に通える良さが勝っていた、というのが実感です。

平日は、朝8時から夜19時までという充実した預かり体制があります。夏休みなどの長期休暇も預かり保育をしてもらえるので、行事がある時に夫婦である程度休みをやりくりできる家庭であれば、共働き家庭でも子どもを通わせることができます。

預かり時間には異年齢の子どもが共に遊んだり、じっくり指編みに取り組んで自作のマフラーを仕上げたりと、子どもたちは預かり時間もみどり幼稚園らしく充実した時間を過ごしてきました。


子どもにとっては「自分らしく過ごすことができた」と思える時間、そして親にとって「よい子育て期が過ごせた」と思える時間――親子双方にとって、何度でも思い出したい温かい時間が心の中にあることは、人生への信頼感、豊かさにつながると実感しています。

美登里幼稚園でそんな時間を過ごせたことは、私たち親子にとってかけがえのない宝物となりました。ぜひ美登里幼稚園で思い出すたびにほっとできる、かけがえのない時間をお過ごしください。

通えば通うほど・・・(2014年度、2017年度卒園生のお母様  A・C様)

同仁美登里幼稚園に子供たちと通っていた日々のことを思い出すと、なんだかにっこりしてしまいます。子供たち二人とも、幼稚園に行く時はいつもウキウキで坂を登り、お迎えに行くと、今日も楽しかった〜というような表情でお部屋から出てきていました。
 園での何気ない毎日や四季折々の行事で体験した一つ一つのことが、今でも子供達の心の大きな支えになっていると感じています。同仁美登里幼稚園では、子供達のあれもこれもやってみたい!という気持ちに十二分に応えてくれるような環境を整えてくださり、その中で、子供たちはのびのびと過ごし、大切なことをいろいろと学んでいったように思います。
 親である私は、毎月の園だよりや、保護者会、個別の面談、また行事などを通して、先生方がいつも子供達一人一人の感じる心、考える心を大切にしてくださり、また成長する力を信じて日々支えてくださっていることを知り、いつも感謝していました。どうしたらいいものかと迷う時は先生にご相談し、子供にとって何が一番いいかを一緒に考えてくださいました。通えば通うほど、同仁美登里幼稚園のことが親子で大好きになっていきました。
 同仁美登里幼稚園に通うことができ、本当によかったなと今でも思っています。

美登里で育つ3つの力~語り合う力・遊ぶ力・生きる力~(2009年度、2012年度、2019年度卒園生のお母様 A・T様)

「小学校ってね、先生が『最初はランドセル、次は水筒』とか物を置く順番を決めて、それを皆で守るのよ。順番なんて、自分たちで考えて動いて、それでうまくいかなったら先生と自分たちでルール決めたら良いじゃないねぇ?」

3人の子がお世話になった我が家

上記は、この3月に美登里幼稚園を卒園して、小学校生活始まって2週間目のある日の末っ娘のつぶやきです。「ああ、美登里の考え方を体に充満させて卒園したんだな」、とつくづく感じた瞬間でした。
我が家は、長男の保育園時代から娘の卒園まで通算14年間、美登里にお世話になりました。
私は他の幼稚園にも数多く出前授業に参っておりますので、相対的に美登里の特徴をお話できる立場にあるかと思います。そこで美登里で特筆すべき点を3点にまとめてお話してみます。

特徴その1  ルールから話し合う

冒頭の娘の言葉に表れているように、この園では子どもたちが納得できないルールを押し付けられることはありません。納得がいかない子がいたら、とことん話し合う。
子ども同士のけんかだってそう。お互い謝って終わり、なんて簡単なことはない。ましてや、よほどのことがない限り、保護者に連絡がきて「謝ってください」なんて簡単にはしません。だって、幼稚園児だってちゃんと理由があってけんかしているんですから。だから話し合いも真剣です。
どう自分が考えて、どうしてこういう行動をしたか、された方はどう感じたのか?お互いに徹底的に話し合う場が持たれます。時によっては、それが数日に及ぶこともあるようです。年長児になると話し合いの場が増えます。運動会で全員リレーを走る順序。ページェント(クリスマスの劇)の役割分担。園生活の集大成ともいえるこれらの行事も、子どもたちが「決め方」から話し合う、というのがこの園の特徴です。
美登里出身の子たちは、内省の仕方、集団の中での自分の役割を考える力、自分の気持ちや考えを言語化する力、などいわゆるメタ認知能力を備えている子が多いと卒園生を見ながらいつも感じます。それは恐らくこういう日々を送っていたからなんだろうと思います。

特徴その2  遊ぶ力を育む

この園の特徴の2点目は、「自分で自分の行動を組み立てる力」を育むことに重点を置いている、ということです。美登里幼稚園ではこれを「遊ぶ力」と呼んでおられます。自由保育なので、見慣れない方は見学されてぎょっとされるかもしれません。体育座りの練習をしたり、決まった時間にお遊戯をしたり、全員が一斉に工作をする、なんていうことは美登里では見られません。季節の行事に合わせて行う工作の方針はありますが、気が乗った子が自分の好きな時間にするものです。
自由時間は何をしても良いのです。みんなやっていることはバラバラです。これは子どもにとっては、実はかなり難易度の高いことです。この「遊ぶ力」をいきなり発揮できる子もいれば、最初はじっと様子を見ていて、先生に声をかけていただいて少しずつ試していく子もいます。
環境をわきまえ、仲間と話しながら、自分の意思に基づいて行動を決めて、実践する、この一連のプロセスの中で培われる力-すなわち思考力、洞察力、自己決定力、自己効力感-はその後の人格形成、そして大人になってからの社会生活においてとても大きな要素になると感じます。
一斉保育で園児が同様の行動をする園に比べ、この子どもたちが「何をやっても良い」状態というのは、先生方にするととても負担が大きいことと思います。それでも、子どもたちみんなのやりたいことをうまく汲みとって、日々の遊びを構成される先生方の手腕はまさにプロ。少し見学されるとそのすごさがご理解いただけるのではないかと思います。

特徴その3 生きる力を育む

美登里の園庭は都会の中の大自然です。子どもたちは様々な植物や生き物と一緒に成長します。春に野菜を植えて夏に収穫し、浅漬けにしてみんなで食べる!まだ冬なのにカエルの卵を見つけて掘り起こす!カブトムシ同士を戦わせる!家からキャベツなどを持って行ってウサギに餌をあげるのがうちの3人の子どもたちは大好きでした。その大切なウサギが死んでしまった日、泣きながら帰ってきた次男の顔を今でも思い出します。
年長児になると虫取り網を使うことができます。年少、年中時代はじっとうらやましく見ていてようやくです。この園の卒園生たちは、女子でも虫や生き物が身近で、大好きな子が多い気がします。時に生き物に対して残酷なことをしてしまうこともあります。その時にはその行動をみんなで話し合います。どうしてカブトムシの羽をむしったらいけないのか。どうしてビオトープの生き物を外に出したらかわいそうなのか。
生き物にも喜怒哀楽があり、共に生きているということ。自然の中で人間がどんな存在で、自分はどう生かされているのか。人間それぞれに個性があって、「みんな違ってみんないい」ということ。キリスト教の教えと共に、この園が子どもたちに学んでほしいことのすべてが園庭にあると私は感じていました。ここでの体験を通じて、子どもたちは自分が生かされている存在だということを知るのだと思いました。仮にその時にはすべてが理解できなかったとしても。

卒園生について

大きくなった卒園生を見回すと、美登里幼稚園出身の子たちは、幅広い場で活躍しています。このサイトをご覧になる方でお気にされる方がいらっしゃるかと思うので、敢えて書いておくと、小学校を受験するご家庭は近隣の園に比べてさほど高くないと思います。ただ、その後の中学受験、高校受験での進学実績は申し分ないです。それは上述のような力が美登里の生活で養われていることが大きいと感じています。ただ偏差値の高い学校を目指すより、それぞれに合った個性的な進路を選んで入っている気がします。自分の生き方を設計する力が備わっているのだろうと思います。
美登里には「ぶどうの会」という卒園生の会があり、お餅つきやバザーなどに招待していただけます。それだけではなく、ふらっと遊びに来る卒園生の実に多いこと。保護者もなんとなく園に吸い寄せられるように足を運ばれる方が多いように思います。
この園にも難点はあります。それは息子たちの言葉を借りると「人生のスタートであるこの幼稚園が良すぎてしまうこと」らしいです。その後、小学校に行っても、中高生になっても、どこに行っても幼稚園が最高だった、と口々に申します。その息子たちは、それぞれに辛いことがあった時、立ち直れるだろうか?傍目に心配していると、ふらっと園庭にいって、泥団子を作っていました。どうやらそこがHOMEで、そこに行くとリセットされるようです。

さいごに

先生方の離職率が低いため、長男次男娘3人がお世話になった先生方が園長先生をはじめ、たくさんいらっしゃいます。どの先生に接してもぶれない教えが先生方の間で共有されていて、子どもへの接し方が一貫しておられるのが不思議なほどです。

     口先だけではない、包むような優しさ。
     子どもの可能性を信じて、やらせてみる寛大さ。
     失敗してもその挑戦を褒めてくださる、あふれる愛情。

これらが私や子どもたちの生き方にどれだけの示唆を与えてくださったかわかりません。
私も子どもたちとともに、泥んこになりながらこの園に育てていただきました。
家族してこんな場所ができたことは人生の財産です。
以上、私のつたない文章が、まだ美登里をご存じない方がこの園を理解する一助となったり、卒園生やその保護者が懐かしく思い出してくださったりするきっかけになるのであれば光栄です。
長文をご高覧くださり、ありがとうございました。

子どもが全力で子どもでいられる場所・美登里幼稚園(2016年度、2019年度卒園生のお母様 S・S様)

第1子の幼稚園を探していた頃、見学で園長先生のお話を聞き、「ここだ!」と直感したのがこの美登里幼稚園でした。あれから早7年、上2人はここを卒園し、3人目が在園中です。
自由保育で、土の園庭があり、めいっぱい遊ぶ。木にも登れば、池も覗き込む。虫や動物がいて、たくさんの木々や草花があり──。降り注ぐ木漏れ日の中、いきいきと走り回る子ども達の眩しさに、今も心を奪われています。

園の保育方針の一つ「1人ひとりの個性を尊重して」。
その方針の通り、先生方は深い信頼と愛情を持って、子ども達の様々な思いや遊びを受け止めてくださいました。その日何をするのか、誰とどう過ごすのか、ほぼ全て自由。当初私も「ここまで子ども達に委ねるとは…」と驚いたのを覚えています。

例えば、全員が取り組む母の日の製作のようなことでさえも、皆で一緒に作りましょう!とはなりません。先生からお知らせがあった後は、期日までにいつ作ってもいい。誰と作ってもいい。作りたいタイミングで作る。もちろん、期日が迫って慌てて作る子もいます。でも、それも立派な個性。そんな園でした。

自由だからこそ、ただ黙々と泥団子作りに打ち込む子もいます。日々、少しずつクオリティ高まる泥団子。そこには、幾多の失敗と工夫と改良があったことでしょう。たかが泥団子、されど泥団子。それを目の当たりにしました。

それからこれは、上の娘が年長の時の保護者会で伺ったお話です。運動会シーズンのこと。クラス対抗全員リレーは、年長の最大のイベントの一つでもあります。どんな走順で走るか、どんな練習をするか等々、その作戦の全てを子ども達が決めるのです。先生はなるだけスムーズな話し合いの手助けをするだけ。

「とりあえず身長順!」と取り組み始めた娘のクラスは、練習で勝ちが続き、「作戦なんていらないや!」という余裕の雰囲気になったそうです。ところが、ある日を境に負けるようになってしまった。隣のクラスが作戦を練ったのです。それでも余裕を気取りたい子達と、「本当は作戦が必要じゃないか」と思う子達とが混在する娘のクラス。ここでも先生は音頭をとらず見守りました。
そうすると、勇気を持って声を上げる子が出てくるのです。そして、話し合いが始まり、生まれた策の数々。バトンの渡し方をこうしよう、帰り道は毎日みんな走ろう、速い人と遅い人を交互にしよう、隣組の足の速い子にどうやったら速く走れるか聞きにいこう!etc.
きっと先生からすれば、大して効果がないと見通せる策も多々あったことでしょう。でも、失敗させてくれる。子ども達の考えと、行動と、結果を見届けてくださり、また一緒に考えてくれる。そんな園でした。

親の私では、こうはなかなか行きません。
「こうしたらどう?」
「それはズルくない?」
「そんなことしても、あんまり効果ないかもよ。」
なんて、反射的に言ってしまいます。
つい早道で成功させたくなる。つい失敗を避けさせたくなる。常に正しくいてほしくなる。だから、待つことができず、子どもの気づく力を信じきれずに、口出ししてしまう。待つよりも教え導く方が、時に早くて楽だから。

だからこそ、私には、美登里幼稚園の存在が本当にありがたいものでした。子ども達の力をここまで信じてくれる園。子ども達の可能性やキラキラとした笑顔を引き出し、やりたいこともその結果も存分に味わわせてくれる園。葛藤して涙しても、自分や友達がどうしたいのかをじっと見つめさせてくれた園。友達・先生・そして何より自分自身の大切さを、肌で感じさせてくれた園──。そんな美登里幼稚園には感謝してもしきれません。あの幼稚園見学の日の直感は間違ってなかったと、何度も思いました。

読み書き、お行儀、英語…のように、目に見えるわかりやすい成果や華やかさは少ないかもしれません。でも、一層ずつ重なっていく木の年輪のように、ゆっくりと確実に、豊かな心が、柔らかな発想が、力強い芯が子ども達に備わっていきます。ありがたいことに、ちょっとやそっとでは揺らぎそうにありません。そして、じっくりと長い時間をかけて、きっとみんながそれぞれの花を咲かせ、実をつけていくはず。
そう思わせてくれる、未来へつながる、そんな園です。実際、多くの卒園児が、本当によく園へ遊びにきます。確かなつながりと安心がここにあるのです。

今、こうして我が家に美登里幼稚園というホームがあり、この先もつながっていられることがどれだけ心強いことか。子ども達にとっても、親の私にとっても、かけがえのない宝物。これからも共に歩んでいけたら、と心から願っています。

父親が語る、美登里幼稚園 (2020年度在園児のお父様 S・K様)   

皆さん、こんにちは。私には2人の娘がいまして、長女は美登里幼稚園の年長、次女は併設されている美登里保育園の1歳児クラスに通っています。妻も働いていますので、共働き家庭の視点から美登里幼稚園の少し大変な点、魅力的な点を2つずつ書いてみようと思います。

まず、大変な点の一つ目は、毎日のお弁当です。前日の夕食を多めに作ったつもりでも、子供に好評で全部食べられてしまうと、翌日のお弁当のおかずは卵焼きとトマトとソーセージ、という日もよくあります。そんな日は心の中で「ゴメンネ」と思って作りますが、子供は全く気にせずむしろ好きなものだらけで喜んでいます(笑)

二つ目はPTAです。美登里幼稚園は年間通じて様々なイベントがあります。年度の初めに「バザー」「運動会」「クリスマス」などの班決めを行いまして、そのイベントの前になると担当の親が集まって準備します。毎年いずれかのPTAに参加することになります。ちなみに、個人的な話をすると、長女が年小の時はバザー班で4月5月の2カ月間に5、6回集まって色々と準備のお手伝いをしました。年中の時は運動会班で前日までに1、2回、当日朝と終了後にお手伝いをしました。今年度はクリスマス班を予定しています。基本的に平日の午前中(子供を送ってその流れ)に集まりお昼前には解散しますが、もちろん義務ではありませんので仕事がある時や体調悪い時などは参加しなくても構いません。私がバザー班で準備していた2年前は母親30人くらいに対して父親は1人でしたが、去年はかなり増えていたようなのでこれから父親のPTA参加も増えると思います。

次に、魅力的な点ですが、まずはなんといっても園庭です。子供達が毎日元気に走り回るのはもちろん、ビオトープと呼ばれる小さな池もあるので自然もいっぱいです。近所の公園で遊んでいると長女が突然ダンゴムシを捕まえたりミミズを触ってみたりと、驚く事もありましたが、娘の成長を感じることが出来てとても良い思い出になっています。

二つ目はみどりクラブという延長保育です。幼稚園自体は9時から14時までですが、みどりクラブとして朝8時から9時までの朝保育、14時から19時までの夕保育、と朝早くから遅くまで子供を預かってもらう事ができます。教室の移動はありますが、同じ敷地内なので安心です。また、クラブの時間に習い事もできます。長女は今ピアノと新体操を習っています。これも教室まで先生が迎えにきてくれて幼稚園の敷地内で習い事をやり、終わったら教室まで送ってくれるので安心ですし、親の送迎の負担はありません。朝送って夕方迎えに行くだけで習い事もさせる事ができるのでとても助かっています。

以上簡単に共働き家庭の目線で書かせていただきました。新入園児のうち共働き家庭の割合は年々増えているようですし、PTAについては親の負担が軽減されるように先生方が色々と考えてくれています。大変な点はあるものの子供も親も幼稚園が大好きです。どの先生も優しくて子供に寄り添ってくれます。娘も担任の先生の事を好きになり過ぎて、ある日「〇〇先生と同じ髪型にしたい」と言って長かった髪をバッサリ切ってショートヘアにした事もあります。親は安心して幼稚園に通わせることができますし、日々予想以上に成長して帰ってくる娘を見ると嬉しくなります。次女が美登里幼稚園に入園して卒園するまでとても楽しみです。

素敵な先生方と一緒に、子供たちを園庭で思いっきり遊ばせてみませんか?お会いできる日を楽しみにしています。

子どもたちが主役の毎日 (2015年度・2019年度卒園生のお母様 K・S様)  

園庭を風が吹き抜けていきます。また季節が変わってきたな、と
大きなけやきの木を見上げて、気づきます。
青々とした葉には子どもたちの汗のにおいがまじり、
枯れ葉が積もる頃には、焚き火や焼き芋のにおいがします。
冬になればしんと静まり、あたたかい部屋の中からアドベントのろうそくを囲む
子どもたちの歌声が聞こえてきます。

忙しい仕事をしながら親になりました。幼い子どもと向き合って、
かわいさに夢中になる一方で戸惑いや迷いが絶えず、
仕事のキャリアについても焦りが押し寄せる。
子どもの成長、仕事のスケジュール、時計やカレンダーを見つめて
時の流れに追われるばかりだった私は、
美登里幼稚園に出会って、木を見上げ、風のにおいを嗅ぐことで
季節のうつろいを感じる生活、というものを初めて味わうことが出来ました。

木々や風は、教育者ではありません。ただ大きな自然として、そこにあるだけです。
なのに子どもたちはそのまんなかでめいっぱい遊ぶことで、どんどん育まれていきます。

美登里にはチャイムや掛け声、号令がありません。あるのは言葉だけです。
そろそろお部屋に入りましょう、と言葉をかけ、入りたくない子には、
そばに言ってその理由を語る言葉を待ってくれます。

美登里は全体に明るいですが、強い色はありません。
園庭の遊具のほとんどは木製で、すこしペンキの剥げた
三輪車や井戸があります。
部屋の中のものや掲示も、抑えた色味の布に枝や松ぼっくりが飾ってあり、
キャラクターも貼っていません。
そのせいか、園の中で目に入るのはとにかく子どもたちの姿、
子どもたちの表情ばかりです。

美登里に行事はありますが、厳しい練習はありません。
繰り返し練習したり、厳しく指導することで整えるよりも、
普段どおりの子どもたちの姿を見せようとしていることが伝わります。
それでも、年長組になると見事な活躍を見せてくれるので、
保護者の目は潤みっぱなしです。

先生方は、いつでも子どもたちの「その時が来る」のを待ってくれます。
手をひっぱったり号令をかけたりして遊ばせるのではなく、
子どもたちの遊びを引き出すようにヒントを散りばめてくれます。
また、行事についても子どもたちの意見を聞き、
子どもたち同士で多くの話し合いを重ねます。
時間がかかることこの上ないのに、そうしてくれます。
木々はただ黙って子どもたちに日陰をつくりながら見守り、
風は汗で張り付いた前髪を乾かしてくれます。

ああそうか、と思います。
美登里幼稚園では、子どもたちそのものが主役。
園庭の木々も遊具も行事も先生方も、あくまでも裏方なのです。

自分たちが主役であること、人生の主役は自分なのだ、と感じられることが、
どれほど子どもたちの自信につながるか。それを美登里で知りました。

それが私たち保護者たちにとっての充足感や安心感にもつながることは、いうまでもありません。

2人の子が卒園してしまい、もう美登里幼稚園に通うことはなくなってしまいました。
当の子どもたちは、美登里の日々で得た自信を胸に「自分が主役」の毎日を、
夢中で過ごしています。
しかし私たち夫婦は、今もなお美登里のけやきの木を思い、葉を揺らす風を懐かしみ、
そろそろ園庭はこんな季節かな、と話したりしています。
これからも、子どもたちの、あるいは自分自身の人生で、
立ち止まってしまうようなことがあったら、
けやきの木を見上げに行きたいと思っています。風のにおいを、嗅ぎに行きたいと思っています。

美登里幼稚園は、私たち家族にとって、そういう場所です。

ともに育ちゆく場所 (2005年度、2008年度卒園生のお母様 Y・I様) 

「美登里幼稚園の思い出」と言われて真っ先に浮かんできたのは、次男が年少さんの頃、毎朝手をつないで坂をのぼりながら一緒に歌った賛美歌である。

小鳥たちは 小さくても お守りなさる神さま
私たちは 小さくても お恵みなさる神さま
悪いことは 小さくても お嫌いなさる神さま
歌う声は 小さくても 喜びなさる神さま

本当に、今思い出してもあんなに幸せな時間はなかったなと思う。子どもの世界は自分の世界の中にほぼすっぽりと収まり、その小さな喜びも悲しみも怒りも共に味わい、すくすくと伸びゆく様子を日々愛で楽しむことができた、神様からのまたとない恩寵とも言うべき濃密な時間であった。そして、それを無条件に堪能できたのは、美登里幼稚園が保護者にとっても実に心地よい居場所を作ってくれていたからだと思う。子どものあるがままを受け入れてその成長を共に喜んでくださる先生方の細やかで温かい眼差しや、幼稚園の自由でおおらかな雰囲気を愛する保護者同士の楽しい付き合いは、この時期の子育てを何倍にも豊かなものにしてくれた。

思い出は尽きないが、今回は特に心に残っている先生方のお言葉をいくつかご紹介させて頂くことにする。

その1 気づきを待つということ

次男が年少の夏休み前の保護者会だったと思う。担任のA先生は、いつも保護者が知り得ない日常の子どもたちの様子をたくさんお話しくださるのだが、その中に次のような話があった。

「BちゃんとCちゃんとDちゃんはよく一緒に遊んでいるのですが、ある日、BちゃんとCちゃんが園庭に遊びに出る時、なぜかDちゃんに声をかけなかったんですね。Dちゃんも2人が連れ立って園庭に出ていくのを見ていたけど、何も言わなかった。何かあったのかなあと思って見ていたのですが、しばらくしたら、2人はDちゃんを誘いに園庭から戻ってきたんです。きっと、庭で2人で遊んでいるうちに、もやもやした気持ちになって、やっぱりDちゃんも一緒に遊ぼうよということになったんだろうなと思って見ていました」

その瞬間、思い出したのは、同じ年の春に卒園した長男とGくんの、年長さんの時の出来事である。ある秋の日の降園後、園庭で遊んでいて大ゲンカになり、仲直りできないまま大泣きする長男を連れて帰った夜、夕飯を食べていると電話が鳴った。取ると、心臓の音が聞こえるんじゃないかと思うほど緊張した声で「Gです。Mくんいますか?」長男にとっておそらく友達からの初めての電話のその主旨は、幼稚園から帰ってずっと悶々としていたGくんが、夜になってついにたまりかねてお母さんに「ぼく、なんか胸がもやもやする」と訴え、じゃあMくんに電話して謝ろうかということでかけてきたものだった。何が原因のケンカだったかは忘れてしまったが、その電話で2人は互いに謝り、そして「今度からは○○な時は〜ということにしようよ」などと解決策まで提案しているのを聞いて、あの場で介入して無理やり仲直りなどさせなくてよかったねと、翌日Gくんのお母さんと話したものだった。

「仕事熱心」とされる先生は、ともすれば早手回しに「どうしてDちゃんも誘ってあげないの?仲間はずれはよくないよ。みんなで仲良く遊ぶようにしましょう」などと2人に声をかけて導き、その場をきれいに納めがちであり、また、それを望む保護者もいるだろう。が、それでは、子どもはそのもやもやとした思い(一言で表すなら「罪悪感」「良心の呵責」ということになるだろうか)を体験する機会を奪われてしまう。子どもたちが苦い思いや後味の悪さを経験する様子を、手を出さずに見守る保育者は、見ようによっては「仕事をしていない」と思われてしまうかもしれないが、実は「待つ」「見守る」というのは、一番鍛錬を要する姿勢なのではないか。A先生の、落ち着いた中にも愛とユーモアがにじみ出る語り口の中に、子どもの中の自ら学びとる力を信じて待つ温かな眼差しを感じ、親としても大きな学びとなったお話であった。

その2  あるがままを受け止めるということ

長男は年長さんになったばかりの頃、保育時間の8割は本を読んでいると言われた。親の仕事の都合で年中の途中で転園してきたこともあり、なかなか友達になじめないのだろうかと心配になり考えた挙げ句、園長先生が園庭のすみに作っていらした畑のお手伝いをさせて頂くことにして、「今日、ママ、畑のお仕事してるから、よかったら庭に遊びに出ておいでよ」と言ってみたところ、なんと本を数冊抱えて現れた。いや、そこまでして来てくれとは言ってないわと半ば呆れ、半ばむかっ腹を立てていたところに、ちょうどきぐみさんの時の担任のK先生が通りかかった。「たまには外に遊びに出ておいでって誘ったら本持って出てきたんですよ」とこぼすと、K先生は本を抱えて立っている息子を満面の笑顔で見つめながら「本当にMくんは本が好きなんですね〜」とおっしゃったのだが、そのお言葉を聞いたとたん、私は「そうか、そうなんだな、それでいいんだな」と、一気に気持ちが楽になってしまった。

親の勝手な思い込みで、この年頃の子どもは友達と活発に遊んで欲しいという、自分の中の子どもの理想像をついつい押しつけてしまっていたが、思う存分本を読むというのも、他でもない、彼がしたくて選んでいることなのだ。

数年後、小学生になっていた長男が「あの時は嬉しかったなあ」と唐突につぶやいたことがある。「いつ?」と聞いたところ、「年長さんになってみどりぐみの部屋に行ったら、壁一面本棚で、こんなにたくさん本があるんだと思ったらもう嬉しくて嬉しくて」しばらくは夢中で読み漁っていたのだそうだ。実際、しばらくして一通り読みたい本は全て読んでしまったら満足したらしく、その後は園庭でもよく遊ぶようになっていったことから考えても、あの時無理に外遊びをさせようと小細工を弄する必要などなかった。時に気負いがちな母親の肩の力を、絶妙な言葉かけで抜いてくださる先生方は、誠に得がたい育児の助け手であった。

その3 汲むということ

長男の話が続く。みどり組の年、あるお友達からぶったり蹴られたりがしばらく続いたことがあった。長男はやり返すこともなくただ逃げ回るだけだったが、保育時間内にはそういうことはなく、降園後の保護者が見ている時に限られているようだったし、長男もそんなにひきずっている感じはなかったので、まあ本人がどう出るか様子を見ようと、担任のU先生にも特に相談しないまま数ヶ月が過ぎたある日、いつものようにお迎えに行ったところ、U先生が出ていらして「Mくんがついに切れました。『もうぼくはゆるさない!』といってTくんに向かっていったんです。ただ、ちょうどお帰りの時間に重なってしまって、本人は全然やり足りないと思うので、今からやらせてもいいでしょうか?」とおっしゃると、そのまま二人を砂場に連れていき、レフリーのように「さ、いいよ、やりな!」とパンと手を叩いた。Tくんが砂場に落ちていた棒きれを拾うと、「それはダメ。素手でやりなさい」と捨てさせ、先生の見守る中、二人はとっくみあいのケンカを始めた。Tくんのお母さんと私は、なるべく彼らの視界に入らないようなところで、笑いをかみ殺しドキドキしながらそのへっぴり腰の果たし合いを観戦させてもらった。

振り返ってみると、私が相談せずとも、U先生は降園後の様子もちゃんと見ていてくださった。だから「ついに」とおっしゃったのだ。そして、友達ととっくみあいなどろくにしたことがなかった息子たちにその経験をさせてくださった。それは親として本当に有り難いことだった。

あれから15年以上が経ったが、この光景は今もなお鮮やかに私の脳裏に焼きついており、幼稚園時代の忘れ得ぬ思い出のひとつになっている。

その4 耐えて見守るということ

幼稚園には、そのシンボルであるケヤキとキリの他にも、枝振りのいい木が数本生えている。次男はとにかく木登りが大好きで、園庭で彼を探す時は、地面ではなく高いところを見上げた方が見つかる率が高かった。そして美登里幼稚園のスゴいところは、それを禁止しないところだ。(もちろん、「この枝は古くなっているから体重をかけてはいけない」など安全上の注意はあったと記憶しているが)。昨今の事なかれの風潮は教育現場にも浸透していて、何かあった場合責任問題に発展することを考えると、危ないことはやらせない方針の園も多いと思うが、先生方の懐の深い保育方針のおかげで、息子は3年間、思う存分木登りを堪能することができた。年中さんの時の担任のM先生が年度の最後にくださったお手紙には「いつもびっくりするほどたかいところまでのぼっていましたね。せんせいはいつも『きゃああ、おちないで~』とこころのなかでおいのりしていました」と書かれていて、口には出さず、胃の痛む思いでずっと見守ってくださっていたのだなと、遅まきながら恐縮したことを覚えている。

その5 やる気を引き出すということ

卒園してからもたびたび園にはお世話になっている。次男は中学の時、職業体験をさせて頂いた。学校で教わった「このたび、○○中学から職業体験でやって参りました、Iと申します。3日間どうぞよろしくお願いいたします」という口上を忘れないように繰り返しぶつぶつ練習しながら坂をのぼっていったのに、職員室に入るや否や「あら~Aちゃん!!」「大きくなったわねえ」と全方位から先制攻撃を受け、何も言えなかったそうだ。子どもたちは、年の近いおにいさんと遊ぶのを喜んでくれ、毎日くたくたになって帰ってきた。バスケ部で毎日しごかれていたのに「部活より疲れた」と言っていたくらいだから、よい体験をさせて頂けたようで、古巣に向かう息子を送り出すのは私もとても楽しかった。後日、お礼のご挨拶に伺ったところ、園長先生から「本当によく働いてくれて助かったんですよ。高校入ったら夏休みにはぜひバイトに来て。」と過分なお褒めの言葉を頂いたことも嬉しい思い出である。

私自身も仕事上でお世話になったことがある。私の勤務校(中高一貫の私立女子校)では、中学3年時に修了論文を書かせるのだが、担当の生徒が幼稚園をテーマに選び、いくつか幼稚園を見て回りたいというので、見学させて頂いたのである。夏休みだったため通常保育はお休みだったが、みどりクラブの子たちが暑い盛りの時間帯、ホールと園庭を行ったり来たりして遊んでいる中、主任(当時)のS先生が応対してくださった。見ず知らずの生徒のために長時間に渡り、主として「一斉保育と自由保育」についてお話くださったのだが、それは私にとって本当に面白くて忘れられないお話だった。あの感動をそのままお伝えできる自信は到底ないのだが、一番心に残っているお話をここでシェアさせて頂こうと思う。

「今の子どもたちって、幼稚園が終わった後もお稽古ごとに行っていたりしますから、そうすると、ずっと大人の管理下にあるんですよね。そして常に大人に何かを教えられている。でも、実は子どもって、ちょっと上のおにいさんおねえさんをよく見ていて、そこからわざを盗み取ったりする方が、大人が教えるよりもよく覚えたりするんです。たとえば、泥だんごの作り方とか、あそこの土管のところの土がいちばん泥だんご作りには向いているんだとか、新聞紙を細く固く巻いて剣を作る作り方とか、そういうことを年長さんはなぜかよく知っていて、それを年少さん年中さんが見ていてまねをしてうまくなっていく、そういう経験がこの時期の子どもたちにはもっと必要なんじゃないかなと思うんです。だから私も、七夕飾りとかクリスマスの飾りとかを保育時間内にやったりすることがあるんです。ある時、教育実習生に『どうして子どもが帰ってからの時間にやらないんですか』と言われたんですが、それはわざとなんです。ハサミでちょきちょき切ったり貼ったりしていると、子どもたちが何人か周りに集まってきて『何してるの』と聞いてくる、それでもわざと忙しそうに『七夕飾り作ってるの』とだけ返事すると、じーっと私の手元を見ていて、しばらくすると『私もやりたい』と言ってくる、そしたらそこで初めて『じゃあハサミはここにあるからやってごらん』と言って道具を貸してあげる、でも教えはしないんです。大人から教わるのではなく、自分から『やってみたい!』という気持ちを持って、じっと観察してマネをしてやってみる、という経験をさせたいんです」

そうか、息子たちはこんなにも愛情深い先生方のさりげないサポートの中で、あの豊かな幼稚園生活を送ってきたのだなと、迂闊にも次男も卒園して数年経った頃になって、美登里の保育の高い理念に唸らされたお話だった。

こうして思い出しながらパソコンに向かって書いていると、美登里幼稚園で過ごした時間は、子どもは言うに及ばず、保護者にとっても大切な学びの場となっていたことに気づかされる。そしてそれは、先生方の、より豊かな経験を子どもたちにさせてやりたいという愛情に裏打ちされた保育姿勢によるものだったと思う。

今、コロナ禍でその子どもたちの学びの時間が奪われている。子どもが育ちゆく時間は二度と戻らない大切な時間であり、目に見えないだけに、経済よりもずっと貴重なかけがえのないものなのではないか。いささか乱暴な物言いになることはお許し頂きたいが、お金で解決できることはお金(補助金、支援金)で何とかして(そのための税金である)、行政には、子どもや若者の大切な学び・成長の時間を確保することにこそ心を注いでもらいたいと、あの幸せだった幼稚園時代を思い出すにつけ、願わずにはいられない。