2005年度から2014年度の卒園生4名、そして2005年度から2020年度の保護者6名に同仁美登里幼稚園での思い出や園への想いなどを書いて頂きました。

卒園生

わたしの美登里幼稚園の思い出(2014年度卒 Y・Sさん)

私の美登里幼稚園での思い出は、友達や先生とおままごとをしたり、電車ごっこをしたことです。
また、たくさんの自然があり、公園ではできない木登りをしたり、いろいろな種類の虫をつかまえたことも楽しかったです。
入園したばかりの年少の頃は、お母さんのお腹には赤ちゃんがいて、1歳の妹もいました。
私だけが幼稚園に行くのが嫌で、泣いたこともありました。
そんな時、先生は抱っこしてくれたり、膝の上で絵本を読んでくれました。
私が落ち着くと、一緒に遊んでくれて、安心したのを覚えています。
今でも、学校がお休みの日に幼稚園に遊びに行っています。
年少さんの朝の支度を手伝ったり、みんなでおにごっこをしたり、一緒にお弁当を食べて楽しく過ごしています。
私は今年、六年生になりました。
一緒に遊んだ子が一年生で入学してきたので嬉しかったです。
これからも、学校や幼稚園で私ができるお手伝いをしていきたいです。

創意工夫を学んだ場所(2011年度卒 S・Kくん)

 美登里幼稚園の魅力は土の園庭、ビオトープ、大きなケヤキの木などの自然豊かな環境であり、何といっても自分がやりたい遊びを思う存分やることができることです。
 その中でも僕は ビオトープで遊ぶことが一番好きでした。
 ビオトープというのは、できるだけ自然に近い形で生き物や植物が生きられるように作られた人工の池のことです。卒園した後も幼稚園に行った時には、必ずビオトープを覗いてどんな生き物がいるか確認しています。
 今見るとそれほど大きくはないビオトープですが、季節ごとにたくさんの動植物を観察できるので、当時の僕にとっては夢がたくさん詰まった玉手箱のようで、いつもワクワクさせてくれる大きな存在でした。また外で遊べないような雨の日には、空きパックや箱などを使って自分が作りたいものをたくさん作りました。
 基本的に美登里幼稚園では「みんなで一緒にアレをやりましょう、コレをやりましょう」などと強制されることはないので、いつも自分がやりたいことや作ってみたい物の制作に取り組んだりしていて、自分なりに工夫して何かを作り出すことの楽しさをたくさん経験することができました。
 そのような幼稚園時代を過ごすことができたおかげで、川や海で釣りをすることや、自分で考えて作った仕掛けを使って生き物を捕獲したりすること、それらの生き物を生育環境の違う色々な水槽の中で飼育したり繁殖させること、自作した環境の中でカブトムシやヤモリを飼育したり繁殖させること、家庭菜園などを今でも楽しんでいます。
 そのため今では遊びはもちろん勉強なども、人に言われたことをその通りにやるということはあまりなく、自分で創意工夫してやっていくことが好きになりました。
これは美登里幼稚園で育ったおかげだと思っています。
 今、僕にはやりたいことがたくさんあります。例えば魚を繁殖させたり、釣りをしたり、自分で考えて何かものを作ることです。
 将来はできれば海や生き物に関わる仕事をしたいので、そのためにはどんな勉強が必要で、どこの高校や大学に行ったらいいのかを考えているところです。

大人には理解しがたい事を受け入れてくれた先生(2013年度卒 S・Tさん)

「すうちゃんは手がかかるから保育料2倍払った方がいいよ」
 これは、母の毒舌ママ友から言われた一言だそうです。(毒舌ママ友とは今でも連絡を取り合って仲良くしているらしいです。)なぜそんなことを言われたかというと、当時の私は自分でも恥ずかしくなるくらいひどかったからです。
 その頃わたしはいつも園から脱走することばかりを考えていて、唯一の脱走の近道であったフェンスによじ登り、その度に、園長先生、担任の先生、その他の先生に説得され連れ戻されるのですが、またその数分後にフェンスによじ登るという有様でした。
 両親の話では、朝家を出る時は「幼稚園は大嫌い」と逃げ回り、幼稚園に着くと今度は靴箱の所に自分で椅子を持ってきて居座ってみたり。(証拠の写真を見せられました。)おむかえの時はどこにいるかわからず(先生の第一声は「いま呼んできます」ではなく「いま探してきます」だったそうです。)先生方大人数で大捜索をして見つけると、都会に迷い込んだ猿を保護する様に、
「すぅちゃん、あっちにいったよ!!」
「そっちまわりこんでっ!!」
と、毎日大騒ぎだったらしいのです。親のもとに返されても
「まだ帰りたくないっ!」
と叫んで、また園庭を駆け回り、今度は親との追いかけっこが始まるのです。
「逃げるから追うのか、追うから逃げるのか・・・」
先生が母につぶやいたそうです。
 その他にも両親から聞いた幼稚園時代のエピソードはひどいものばかりで、先生方には申し訳ない気持ちで一杯です。
 そんな私が小6の夏休み、母のすすめでみどりクラブのお手伝いをさせていただきました。純真で素直で可愛い子供達ばかりでした。
 お手伝いに行った初日「あのすぅちゃんが来た!」と入れ替わり立ち替わり、当時の先生方が私に会いに来てくれました。
 ある日お弁当の時間に、玄関で「お弁当食べに行こう」と先生に説得されている男の子が居ました。私がその子と一対一で関わることになり、
「みんなとお弁当食べないの?」
「お弁当食べたらすぅすと一緒に遊ぼっか」
「席お隣にする?」
と声をかけると、「うん」と言ってくれて、仮面ライダーの話をしながら隣でお弁当を食べる事が出来ました。
 昔、先生を困らせていた私ですが、言う事を聞かないからと言って頭ごなしに怒られた記憶が無いので、私もこんな風に先生方からその時々の気持ちに寄り添ってもらっていたのかなと思います。
 美登里幼稚園は絶対にやってはいけない事はしかるけれど、子供のやりたい事(大人には理解しがたい事)を曲げずに先生方が受け入れてくれる場所だと思います。当時お世話になった先生方全員にとても感謝しています。今でも大好きな幼稚園です。

大好きな美登里幼稚園(2005年度卒 M・Sさん)

 私は現在、大学三年生で看護師になるために看護大学に通っています。美登里幼稚園を卒園したのは、14年も前のことですが今でも美登里幼稚園が大好きで、現在は併設している保育園でアルバイトをさせて頂いています。
 保育園を含めて美登里幼稚園はとても温かみのある園だと思います。
 私は幼稚園の頃、園庭で泥団子を作ったり木登りをしてよく遊んでいました。園庭は広く自然に囲まれているため、都会でありながらのびのび育つことができたと思います。
 先生方はとても優しく、美登里幼稚園での思い出は楽しいことばかりでした。当時お世話になった先生方、本当にありがとうございました。

保護者

通えば通うほど・・・(2014年度、2017年度卒園生のお母様  A・C様)

同仁美登里幼稚園に子供たちと通っていた日々のことを思い出すと、なんだかにっこりしてしまいます。子供たち二人とも、幼稚園に行く時はいつもウキウキで坂を登り、お迎えに行くと、今日も楽しかった〜というような表情でお部屋から出てきていました。
 園での何気ない毎日や四季折々の行事で体験した一つ一つのことが、今でも子供達の心の大きな支えになっていると感じています。同仁美登里幼稚園では、子供達のあれもこれもやってみたい!という気持ちに十二分に応えてくれるような環境を整えてくださり、その中で、子供たちはのびのびと過ごし、大切なことをいろいろと学んでいったように思います。
 親である私は、毎月の園だよりや、保護者会、個別の面談、また行事などを通して、先生方がいつも子供達一人一人の感じる心、考える心を大切にしてくださり、また成長する力を信じて日々支えてくださっていることを知り、いつも感謝していました。どうしたらいいものかと迷う時は先生にご相談し、子供にとって何が一番いいかを一緒に考えてくださいました。通えば通うほど、同仁美登里幼稚園のことが親子で大好きになっていきました。
 同仁美登里幼稚園に通うことができ、本当によかったなと今でも思っています。

美登里で育つ3つの力~語り合う力・遊ぶ力・生きる力~(2009年度、2012年度、2019年度卒園生のお母様 A・T様)

「小学校ってね、先生が『最初はランドセル、次は水筒』とか物を置く順番を決めて、それを皆で守るのよ。順番なんて、自分たちで考えて動いて、それでうまくいかなったら先生と自分たちでルール決めたら良いじゃないねぇ?」

3人の子がお世話になった我が家

上記は、この3月に美登里幼稚園を卒園して、小学校生活始まって2週間目のある日の末っ娘のつぶやきです。「ああ、美登里の考え方を体に充満させて卒園したんだな」、とつくづく感じた瞬間でした。
我が家は、長男の保育園時代から娘の卒園まで通算14年間、美登里にお世話になりました。
私は他の幼稚園にも数多く出前授業に参っておりますので、相対的に美登里の特徴をお話できる立場にあるかと思います。そこで美登里で特筆すべき点を3点にまとめてお話してみます。

特徴その1  ルールから話し合う

冒頭の娘の言葉に表れているように、この園では子どもたちが納得できないルールを押し付けられることはありません。納得がいかない子がいたら、とことん話し合う。
子ども同士のけんかだってそう。お互い謝って終わり、なんて簡単なことはない。ましてや、よほどのことがない限り、保護者に連絡がきて「謝ってください」なんて簡単にはしません。だって、幼稚園児だってちゃんと理由があってけんかしているんですから。だから話し合いも真剣です。
どう自分が考えて、どうしてこういう行動をしたか、された方はどう感じたのか?お互いに徹底的に話し合う場が持たれます。時によっては、それが数日に及ぶこともあるようです。年長児になると話し合いの場が増えます。運動会で全員リレーを走る順序。ページェント(クリスマスの劇)の役割分担。園生活の集大成ともいえるこれらの行事も、子どもたちが「決め方」から話し合う、というのがこの園の特徴です。
美登里出身の子たちは、内省の仕方、集団の中での自分の役割を考える力、自分の気持ちや考えを言語化する力、などいわゆるメタ認知能力を備えている子が多いと卒園生を見ながらいつも感じます。それは恐らくこういう日々を送っていたからなんだろうと思います。

特徴その2  遊ぶ力を育む

この園の特徴の2点目は、「自分で自分の行動を組み立てる力」を育むことに重点を置いている、ということです。美登里幼稚園ではこれを「遊ぶ力」と呼んでおられます。自由保育なので、見慣れない方は見学されてぎょっとされるかもしれません。体育座りの練習をしたり、決まった時間にお遊戯をしたり、全員が一斉に工作をする、なんていうことは美登里では見られません。季節の行事に合わせて行う工作の方針はありますが、気が乗った子が自分の好きな時間にするものです。
自由時間は何をしても良いのです。みんなやっていることはバラバラです。これは子どもにとっては、実はかなり難易度の高いことです。この「遊ぶ力」をいきなり発揮できる子もいれば、最初はじっと様子を見ていて、先生に声をかけていただいて少しずつ試していく子もいます。
環境をわきまえ、仲間と話しながら、自分の意思に基づいて行動を決めて、実践する、この一連のプロセスの中で培われる力-すなわち思考力、洞察力、自己決定力、自己効力感-はその後の人格形成、そして大人になってからの社会生活においてとても大きな要素になると感じます。
一斉保育で園児が同様の行動をする園に比べ、この子どもたちが「何をやっても良い」状態というのは、先生方にするととても負担が大きいことと思います。それでも、子どもたちみんなのやりたいことをうまく汲みとって、日々の遊びを構成される先生方の手腕はまさにプロ。少し見学されるとそのすごさがご理解いただけるのではないかと思います。

特徴その3 生きる力を育む

美登里の園庭は都会の中の大自然です。子どもたちは様々な植物や生き物と一緒に成長します。春に野菜を植えて夏に収穫し、浅漬けにしてみんなで食べる!まだ冬なのにカエルの卵を見つけて掘り起こす!カブトムシ同士を戦わせる!家からキャベツなどを持って行ってウサギに餌をあげるのがうちの3人の子どもたちは大好きでした。その大切なウサギが死んでしまった日、泣きながら帰ってきた次男の顔を今でも思い出します。
年長児になると虫取り網を使うことができます。年少、年中時代はじっとうらやましく見ていてようやくです。この園の卒園生たちは、女子でも虫や生き物が身近で、大好きな子が多い気がします。時に生き物に対して残酷なことをしてしまうこともあります。その時にはその行動をみんなで話し合います。どうしてカブトムシの羽をむしったらいけないのか。どうしてビオトープの生き物を外に出したらかわいそうなのか。
生き物にも喜怒哀楽があり、共に生きているということ。自然の中で人間がどんな存在で、自分はどう生かされているのか。人間それぞれに個性があって、「みんな違ってみんないい」ということ。キリスト教の教えと共に、この園が子どもたちに学んでほしいことのすべてが園庭にあると私は感じていました。ここでの体験を通じて、子どもたちは自分が生かされている存在だということを知るのだと思いました。仮にその時にはすべてが理解できなかったとしても。

卒園生について

大きくなった卒園生を見回すと、美登里幼稚園出身の子たちは、幅広い場で活躍しています。このサイトをご覧になる方でお気にされる方がいらっしゃるかと思うので、敢えて書いておくと、小学校を受験するご家庭は近隣の園に比べてさほど高くないと思います。ただ、その後の中学受験、高校受験での進学実績は申し分ないです。それは上述のような力が美登里の生活で養われていることが大きいと感じています。ただ偏差値の高い学校を目指すより、それぞれに合った個性的な進路を選んで入っている気がします。自分の生き方を設計する力が備わっているのだろうと思います。
美登里には「ぶどうの会」という卒園生の会があり、お餅つきやバザーなどに招待していただけます。それだけではなく、ふらっと遊びに来る卒園生の実に多いこと。保護者もなんとなく園に吸い寄せられるように足を運ばれる方が多いように思います。
この園にも難点はあります。それは息子たちの言葉を借りると「人生のスタートであるこの幼稚園が良すぎてしまうこと」らしいです。その後、小学校に行っても、中高生になっても、どこに行っても幼稚園が最高だった、と口々に申します。その息子たちは、それぞれに辛いことがあった時、立ち直れるだろうか?傍目に心配していると、ふらっと園庭にいって、泥団子を作っていました。どうやらそこがHOMEで、そこに行くとリセットされるようです。

さいごに

先生方の離職率が低いため、長男次男娘3人がお世話になった先生方が園長先生をはじめ、たくさんいらっしゃいます。どの先生に接してもぶれない教えが先生方の間で共有されていて、子どもへの接し方が一貫しておられるのが不思議なほどです。

     口先だけではない、包むような優しさ。
     子どもの可能性を信じて、やらせてみる寛大さ。
     失敗してもその挑戦を褒めてくださる、あふれる愛情。

これらが私や子どもたちの生き方にどれだけの示唆を与えてくださったかわかりません。
私も子どもたちとともに、泥んこになりながらこの園に育てていただきました。
家族してこんな場所ができたことは人生の財産です。
以上、私のつたない文章が、まだ美登里をご存じない方がこの園を理解する一助となったり、卒園生やその保護者が懐かしく思い出してくださったりするきっかけになるのであれば光栄です。
長文をご高覧くださり、ありがとうございました。

子どもが全力で子どもでいられる場所・美登里幼稚園(2016年度、2019年度卒園生のお母様 S・S様)

第1子の幼稚園を探していた頃、見学で園長先生のお話を聞き、「ここだ!」と直感したのがこの美登里幼稚園でした。あれから早7年、上2人はここを卒園し、3人目が在園中です。
自由保育で、土の園庭があり、めいっぱい遊ぶ。木にも登れば、池も覗き込む。虫や動物がいて、たくさんの木々や草花があり──。降り注ぐ木漏れ日の中、いきいきと走り回る子ども達の眩しさに、今も心を奪われています。

園の保育方針の一つ「1人ひとりの個性を尊重して」。
その方針の通り、先生方は深い信頼と愛情を持って、子ども達の様々な思いや遊びを受け止めてくださいました。その日何をするのか、誰とどう過ごすのか、ほぼ全て自由。当初私も「ここまで子ども達に委ねるとは…」と驚いたのを覚えています。

例えば、全員が取り組む母の日の製作のようなことでさえも、皆で一緒に作りましょう!とはなりません。先生からお知らせがあった後は、期日までにいつ作ってもいい。誰と作ってもいい。作りたいタイミングで作る。もちろん、期日が迫って慌てて作る子もいます。でも、それも立派な個性。そんな園でした。

自由だからこそ、ただ黙々と泥団子作りに打ち込む子もいます。日々、少しずつクオリティ高まる泥団子。そこには、幾多の失敗と工夫と改良があったことでしょう。たかが泥団子、されど泥団子。それを目の当たりにしました。

それからこれは、上の娘が年長の時の保護者会で伺ったお話です。運動会シーズンのこと。クラス対抗全員リレーは、年長の最大のイベントの一つでもあります。どんな走順で走るか、どんな練習をするか等々、その作戦の全てを子ども達が決めるのです。先生はなるだけスムーズな話し合いの手助けをするだけ。

「とりあえず身長順!」と取り組み始めた娘のクラスは、練習で勝ちが続き、「作戦なんていらないや!」という余裕の雰囲気になったそうです。ところが、ある日を境に負けるようになってしまった。隣のクラスが作戦を練ったのです。それでも余裕を気取りたい子達と、「本当は作戦が必要じゃないか」と思う子達とが混在する娘のクラス。ここでも先生は音頭をとらず見守りました。
そうすると、勇気を持って声を上げる子が出てくるのです。そして、話し合いが始まり、生まれた策の数々。バトンの渡し方をこうしよう、帰り道は毎日みんな走ろう、速い人と遅い人を交互にしよう、隣組の足の速い子にどうやったら速く走れるか聞きにいこう!etc.
きっと先生からすれば、大して効果がないと見通せる策も多々あったことでしょう。でも、失敗させてくれる。子ども達の考えと、行動と、結果を見届けてくださり、また一緒に考えてくれる。そんな園でした。

親の私では、こうはなかなか行きません。
「こうしたらどう?」
「それはズルくない?」
「そんなことしても、あんまり効果ないかもよ。」
なんて、反射的に言ってしまいます。
つい早道で成功させたくなる。つい失敗を避けさせたくなる。常に正しくいてほしくなる。だから、待つことができず、子どもの気づく力を信じきれずに、口出ししてしまう。待つよりも教え導く方が、時に早くて楽だから。

だからこそ、私には、美登里幼稚園の存在が本当にありがたいものでした。子ども達の力をここまで信じてくれる園。子ども達の可能性やキラキラとした笑顔を引き出し、やりたいこともその結果も存分に味わわせてくれる園。葛藤して涙しても、自分や友達がどうしたいのかをじっと見つめさせてくれた園。友達・先生・そして何より自分自身の大切さを、肌で感じさせてくれた園──。そんな美登里幼稚園には感謝してもしきれません。あの幼稚園見学の日の直感は間違ってなかったと、何度も思いました。

読み書き、お行儀、英語…のように、目に見えるわかりやすい成果や華やかさは少ないかもしれません。でも、一層ずつ重なっていく木の年輪のように、ゆっくりと確実に、豊かな心が、柔らかな発想が、力強い芯が子ども達に備わっていきます。ありがたいことに、ちょっとやそっとでは揺らぎそうにありません。そして、じっくりと長い時間をかけて、きっとみんながそれぞれの花を咲かせ、実をつけていくはず。
そう思わせてくれる、未来へつながる、そんな園です。実際、多くの卒園児が、本当によく園へ遊びにきます。確かなつながりと安心がここにあるのです。

今、こうして我が家に美登里幼稚園というホームがあり、この先もつながっていられることがどれだけ心強いことか。子ども達にとっても、親の私にとっても、かけがえのない宝物。これからも共に歩んでいけたら、と心から願っています。

父親が語る、美登里幼稚園 (2020年度在園児のお父様 S・K様)   

皆さん、こんにちは。私には2人の娘がいまして、長女は美登里幼稚園の年長、次女は併設されている美登里保育園の1歳児クラスに通っています。妻も働いていますので、共働き家庭の視点から美登里幼稚園の少し大変な点、魅力的な点を2つずつ書いてみようと思います。

まず、大変な点の一つ目は、毎日のお弁当です。前日の夕食を多めに作ったつもりでも、子供に好評で全部食べられてしまうと、翌日のお弁当のおかずは卵焼きとトマトとソーセージ、という日もよくあります。そんな日は心の中で「ゴメンネ」と思って作りますが、子供は全く気にせずむしろ好きなものだらけで喜んでいます(笑)

二つ目はPTAです。美登里幼稚園は年間通じて様々なイベントがあります。年度の初めに「バザー」「運動会」「クリスマス」などの班決めを行いまして、そのイベントの前になると担当の親が集まって準備します。毎年いずれかのPTAに参加することになります。ちなみに、個人的な話をすると、長女が年小の時はバザー班で4月5月の2カ月間に5、6回集まって色々と準備のお手伝いをしました。年中の時は運動会班で前日までに1、2回、当日朝と終了後にお手伝いをしました。今年度はクリスマス班を予定しています。基本的に平日の午前中(子供を送ってその流れ)に集まりお昼前には解散しますが、もちろん義務ではありませんので仕事がある時や体調悪い時などは参加しなくても構いません。私がバザー班で準備していた2年前は母親30人くらいに対して父親は1人でしたが、去年はかなり増えていたようなのでこれから父親のPTA参加も増えると思います。

次に、魅力的な点ですが、まずはなんといっても園庭です。子供達が毎日元気に走り回るのはもちろん、ビオトープと呼ばれる小さな池もあるので自然もいっぱいです。近所の公園で遊んでいると長女が突然ダンゴムシを捕まえたりミミズを触ってみたりと、驚く事もありましたが、娘の成長を感じることが出来てとても良い思い出になっています。

二つ目はみどりクラブという延長保育です。幼稚園自体は9時から14時までですが、みどりクラブとして朝8時から9時までの朝保育、14時から19時までの夕保育、と朝早くから遅くまで子供を預かってもらう事ができます。教室の移動はありますが、同じ敷地内なので安心です。また、クラブの時間に習い事もできます。長女は今ピアノと新体操を習っています。これも教室まで先生が迎えにきてくれて幼稚園の敷地内で習い事をやり、終わったら教室まで送ってくれるので安心ですし、親の送迎の負担はありません。朝送って夕方迎えに行くだけで習い事もさせる事ができるのでとても助かっています。

以上簡単に共働き家庭の目線で書かせていただきました。新入園児のうち共働き家庭の割合は年々増えているようですし、PTAについては親の負担が軽減されるように先生方が色々と考えてくれています。大変な点はあるものの子供も親も幼稚園が大好きです。どの先生も優しくて子供に寄り添ってくれます。娘も担任の先生の事を好きになり過ぎて、ある日「〇〇先生と同じ髪型にしたい」と言って長かった髪をバッサリ切ってショートヘアにした事もあります。親は安心して幼稚園に通わせることができますし、日々予想以上に成長して帰ってくる娘を見ると嬉しくなります。次女が美登里幼稚園に入園して卒園するまでとても楽しみです。

素敵な先生方と一緒に、子供たちを園庭で思いっきり遊ばせてみませんか?お会いできる日を楽しみにしています。

子どもたちが主役の毎日 (2015年度・2019年度卒園生のお母様 K・S様)  

園庭を風が吹き抜けていきます。また季節が変わってきたな、と
大きなけやきの木を見上げて、気づきます。
青々とした葉には子どもたちの汗のにおいがまじり、
枯れ葉が積もる頃には、焚き火や焼き芋のにおいがします。
冬になればしんと静まり、あたたかい部屋の中からアドベントのろうそくを囲む
子どもたちの歌声が聞こえてきます。

忙しい仕事をしながら親になりました。幼い子どもと向き合って、
かわいさに夢中になる一方で戸惑いや迷いが絶えず、
仕事のキャリアについても焦りが押し寄せる。
子どもの成長、仕事のスケジュール、時計やカレンダーを見つめて
時の流れに追われるばかりだった私は、
美登里幼稚園に出会って、木を見上げ、風のにおいを嗅ぐことで
季節のうつろいを感じる生活、というものを初めて味わうことが出来ました。

木々や風は、教育者ではありません。ただ大きな自然として、そこにあるだけです。
なのに子どもたちはそのまんなかでめいっぱい遊ぶことで、どんどん育まれていきます。

美登里にはチャイムや掛け声、号令がありません。あるのは言葉だけです。
そろそろお部屋に入りましょう、と言葉をかけ、入りたくない子には、
そばに言ってその理由を語る言葉を待ってくれます。

美登里は全体に明るいですが、強い色はありません。
園庭の遊具のほとんどは木製で、すこしペンキの剥げた
三輪車や井戸があります。
部屋の中のものや掲示も、抑えた色味の布に枝や松ぼっくりが飾ってあり、
キャラクターも貼っていません。
そのせいか、園の中で目に入るのはとにかく子どもたちの姿、
子どもたちの表情ばかりです。

美登里に行事はありますが、厳しい練習はありません。
繰り返し練習したり、厳しく指導することで整えるよりも、
普段どおりの子どもたちの姿を見せようとしていることが伝わります。
それでも、年長組になると見事な活躍を見せてくれるので、
保護者の目は潤みっぱなしです。

先生方は、いつでも子どもたちの「その時が来る」のを待ってくれます。
手をひっぱったり号令をかけたりして遊ばせるのではなく、
子どもたちの遊びを引き出すようにヒントを散りばめてくれます。
また、行事についても子どもたちの意見を聞き、
子どもたち同士で多くの話し合いを重ねます。
時間がかかることこの上ないのに、そうしてくれます。
木々はただ黙って子どもたちに日陰をつくりながら見守り、
風は汗で張り付いた前髪を乾かしてくれます。

ああそうか、と思います。
美登里幼稚園では、子どもたちそのものが主役。
園庭の木々も遊具も行事も先生方も、あくまでも裏方なのです。

自分たちが主役であること、人生の主役は自分なのだ、と感じられることが、
どれほど子どもたちの自信につながるか。それを美登里で知りました。

それが私たち保護者たちにとっての充足感や安心感にもつながることは、いうまでもありません。

2人の子が卒園してしまい、もう美登里幼稚園に通うことはなくなってしまいました。
当の子どもたちは、美登里の日々で得た自信を胸に「自分が主役」の毎日を、
夢中で過ごしています。
しかし私たち夫婦は、今もなお美登里のけやきの木を思い、葉を揺らす風を懐かしみ、
そろそろ園庭はこんな季節かな、と話したりしています。
これからも、子どもたちの、あるいは自分自身の人生で、
立ち止まってしまうようなことがあったら、
けやきの木を見上げに行きたいと思っています。風のにおいを、嗅ぎに行きたいと思っています。

美登里幼稚園は、私たち家族にとって、そういう場所です。

ともに育ちゆく場所 (2005年度、2008年度卒園生のお母様 Y・I様) 

「美登里幼稚園の思い出」と言われて真っ先に浮かんできたのは、次男が年少さんの頃、毎朝手をつないで坂をのぼりながら一緒に歌った賛美歌である。

小鳥たちは 小さくても お守りなさる神さま
私たちは 小さくても お恵みなさる神さま
悪いことは 小さくても お嫌いなさる神さま
歌う声は 小さくても 喜びなさる神さま

本当に、今思い出してもあんなに幸せな時間はなかったなと思う。子どもの世界は自分の世界の中にほぼすっぽりと収まり、その小さな喜びも悲しみも怒りも共に味わい、すくすくと伸びゆく様子を日々愛で楽しむことができた、神様からのまたとない恩寵とも言うべき濃密な時間であった。そして、それを無条件に堪能できたのは、美登里幼稚園が保護者にとっても実に心地よい居場所を作ってくれていたからだと思う。子どものあるがままを受け入れてその成長を共に喜んでくださる先生方の細やかで温かい眼差しや、幼稚園の自由でおおらかな雰囲気を愛する保護者同士の楽しい付き合いは、この時期の子育てを何倍にも豊かなものにしてくれた。

思い出は尽きないが、今回は特に心に残っている先生方のお言葉をいくつかご紹介させて頂くことにする。

その1 気づきを待つということ

次男が年少の夏休み前の保護者会だったと思う。担任のA先生は、いつも保護者が知り得ない日常の子どもたちの様子をたくさんお話しくださるのだが、その中に次のような話があった。

「BちゃんとCちゃんとDちゃんはよく一緒に遊んでいるのですが、ある日、BちゃんとCちゃんが園庭に遊びに出る時、なぜかDちゃんに声をかけなかったんですね。Dちゃんも2人が連れ立って園庭に出ていくのを見ていたけど、何も言わなかった。何かあったのかなあと思って見ていたのですが、しばらくしたら、2人はDちゃんを誘いに園庭から戻ってきたんです。きっと、庭で2人で遊んでいるうちに、もやもやした気持ちになって、やっぱりDちゃんも一緒に遊ぼうよということになったんだろうなと思って見ていました」

その瞬間、思い出したのは、同じ年の春に卒園した長男とGくんの、年長さんの時の出来事である。ある秋の日の降園後、園庭で遊んでいて大ゲンカになり、仲直りできないまま大泣きする長男を連れて帰った夜、夕飯を食べていると電話が鳴った。取ると、心臓の音が聞こえるんじゃないかと思うほど緊張した声で「Gです。Mくんいますか?」長男にとっておそらく友達からの初めての電話のその主旨は、幼稚園から帰ってずっと悶々としていたGくんが、夜になってついにたまりかねてお母さんに「ぼく、なんか胸がもやもやする」と訴え、じゃあMくんに電話して謝ろうかということでかけてきたものだった。何が原因のケンカだったかは忘れてしまったが、その電話で2人は互いに謝り、そして「今度からは○○な時は〜ということにしようよ」などと解決策まで提案しているのを聞いて、あの場で介入して無理やり仲直りなどさせなくてよかったねと、翌日Gくんのお母さんと話したものだった。

「仕事熱心」とされる先生は、ともすれば早手回しに「どうしてDちゃんも誘ってあげないの?仲間はずれはよくないよ。みんなで仲良く遊ぶようにしましょう」などと2人に声をかけて導き、その場をきれいに納めがちであり、また、それを望む保護者もいるだろう。が、それでは、子どもはそのもやもやとした思い(一言で表すなら「罪悪感」「良心の呵責」ということになるだろうか)を体験する機会を奪われてしまう。子どもたちが苦い思いや後味の悪さを経験する様子を、手を出さずに見守る保育者は、見ようによっては「仕事をしていない」と思われてしまうかもしれないが、実は「待つ」「見守る」というのは、一番鍛錬を要する姿勢なのではないか。A先生の、落ち着いた中にも愛とユーモアがにじみ出る語り口の中に、子どもの中の自ら学びとる力を信じて待つ温かな眼差しを感じ、親としても大きな学びとなったお話であった。

その2  あるがままを受け止めるということ

長男は年長さんになったばかりの頃、保育時間の8割は本を読んでいると言われた。親の仕事の都合で年中の途中で転園してきたこともあり、なかなか友達になじめないのだろうかと心配になり考えた挙げ句、園長先生が園庭のすみに作っていらした畑のお手伝いをさせて頂くことにして、「今日、ママ、畑のお仕事してるから、よかったら庭に遊びに出ておいでよ」と言ってみたところ、なんと本を数冊抱えて現れた。いや、そこまでして来てくれとは言ってないわと半ば呆れ、半ばむかっ腹を立てていたところに、ちょうどきぐみさんの時の担任のK先生が通りかかった。「たまには外に遊びに出ておいでって誘ったら本持って出てきたんですよ」とこぼすと、K先生は本を抱えて立っている息子を満面の笑顔で見つめながら「本当にMくんは本が好きなんですね〜」とおっしゃったのだが、そのお言葉を聞いたとたん、私は「そうか、そうなんだな、それでいいんだな」と、一気に気持ちが楽になってしまった。

親の勝手な思い込みで、この年頃の子どもは友達と活発に遊んで欲しいという、自分の中の子どもの理想像をついつい押しつけてしまっていたが、思う存分本を読むというのも、他でもない、彼がしたくて選んでいることなのだ。

数年後、小学生になっていた長男が「あの時は嬉しかったなあ」と唐突につぶやいたことがある。「いつ?」と聞いたところ、「年長さんになってみどりぐみの部屋に行ったら、壁一面本棚で、こんなにたくさん本があるんだと思ったらもう嬉しくて嬉しくて」しばらくは夢中で読み漁っていたのだそうだ。実際、しばらくして一通り読みたい本は全て読んでしまったら満足したらしく、その後は園庭でもよく遊ぶようになっていったことから考えても、あの時無理に外遊びをさせようと小細工を弄する必要などなかった。時に気負いがちな母親の肩の力を、絶妙な言葉かけで抜いてくださる先生方は、誠に得がたい育児の助け手であった。

その3 汲むということ

長男の話が続く。みどり組の年、あるお友達からぶったり蹴られたりがしばらく続いたことがあった。長男はやり返すこともなくただ逃げ回るだけだったが、保育時間内にはそういうことはなく、降園後の保護者が見ている時に限られているようだったし、長男もそんなにひきずっている感じはなかったので、まあ本人がどう出るか様子を見ようと、担任のU先生にも特に相談しないまま数ヶ月が過ぎたある日、いつものようにお迎えに行ったところ、U先生が出ていらして「Mくんがついに切れました。『もうぼくはゆるさない!』といってTくんに向かっていったんです。ただ、ちょうどお帰りの時間に重なってしまって、本人は全然やり足りないと思うので、今からやらせてもいいでしょうか?」とおっしゃると、そのまま二人を砂場に連れていき、レフリーのように「さ、いいよ、やりな!」とパンと手を叩いた。Tくんが砂場に落ちていた棒きれを拾うと、「それはダメ。素手でやりなさい」と捨てさせ、先生の見守る中、二人はとっくみあいのケンカを始めた。Tくんのお母さんと私は、なるべく彼らの視界に入らないようなところで、笑いをかみ殺しドキドキしながらそのへっぴり腰の果たし合いを観戦させてもらった。

振り返ってみると、私が相談せずとも、U先生は降園後の様子もちゃんと見ていてくださった。だから「ついに」とおっしゃったのだ。そして、友達ととっくみあいなどろくにしたことがなかった息子たちにその経験をさせてくださった。それは親として本当に有り難いことだった。

あれから15年以上が経ったが、この光景は今もなお鮮やかに私の脳裏に焼きついており、幼稚園時代の忘れ得ぬ思い出のひとつになっている。

その4 耐えて見守るということ

幼稚園には、そのシンボルであるケヤキとキリの他にも、枝振りのいい木が数本生えている。次男はとにかく木登りが大好きで、園庭で彼を探す時は、地面ではなく高いところを見上げた方が見つかる率が高かった。そして美登里幼稚園のスゴいところは、それを禁止しないところだ。(もちろん、「この枝は古くなっているから体重をかけてはいけない」など安全上の注意はあったと記憶しているが)。昨今の事なかれの風潮は教育現場にも浸透していて、何かあった場合責任問題に発展することを考えると、危ないことはやらせない方針の園も多いと思うが、先生方の懐の深い保育方針のおかげで、息子は3年間、思う存分木登りを堪能することができた。年中さんの時の担任のM先生が年度の最後にくださったお手紙には「いつもびっくりするほどたかいところまでのぼっていましたね。せんせいはいつも『きゃああ、おちないで~』とこころのなかでおいのりしていました」と書かれていて、口には出さず、胃の痛む思いでずっと見守ってくださっていたのだなと、遅まきながら恐縮したことを覚えている。

その5 やる気を引き出すということ

卒園してからもたびたび園にはお世話になっている。次男は中学の時、職業体験をさせて頂いた。学校で教わった「このたび、○○中学から職業体験でやって参りました、Iと申します。3日間どうぞよろしくお願いいたします」という口上を忘れないように繰り返しぶつぶつ練習しながら坂をのぼっていったのに、職員室に入るや否や「あら~Aちゃん!!」「大きくなったわねえ」と全方位から先制攻撃を受け、何も言えなかったそうだ。子どもたちは、年の近いおにいさんと遊ぶのを喜んでくれ、毎日くたくたになって帰ってきた。バスケ部で毎日しごかれていたのに「部活より疲れた」と言っていたくらいだから、よい体験をさせて頂けたようで、古巣に向かう息子を送り出すのは私もとても楽しかった。後日、お礼のご挨拶に伺ったところ、園長先生から「本当によく働いてくれて助かったんですよ。高校入ったら夏休みにはぜひバイトに来て。」と過分なお褒めの言葉を頂いたことも嬉しい思い出である。

私自身も仕事上でお世話になったことがある。私の勤務校(中高一貫の私立女子校)では、中学3年時に修了論文を書かせるのだが、担当の生徒が幼稚園をテーマに選び、いくつか幼稚園を見て回りたいというので、見学させて頂いたのである。夏休みだったため通常保育はお休みだったが、みどりクラブの子たちが暑い盛りの時間帯、ホールと園庭を行ったり来たりして遊んでいる中、主任(当時)のS先生が応対してくださった。見ず知らずの生徒のために長時間に渡り、主として「一斉保育と自由保育」についてお話くださったのだが、それは私にとって本当に面白くて忘れられないお話だった。あの感動をそのままお伝えできる自信は到底ないのだが、一番心に残っているお話をここでシェアさせて頂こうと思う。

「今の子どもたちって、幼稚園が終わった後もお稽古ごとに行っていたりしますから、そうすると、ずっと大人の管理下にあるんですよね。そして常に大人に何かを教えられている。でも、実は子どもって、ちょっと上のおにいさんおねえさんをよく見ていて、そこからわざを盗み取ったりする方が、大人が教えるよりもよく覚えたりするんです。たとえば、泥だんごの作り方とか、あそこの土管のところの土がいちばん泥だんご作りには向いているんだとか、新聞紙を細く固く巻いて剣を作る作り方とか、そういうことを年長さんはなぜかよく知っていて、それを年少さん年中さんが見ていてまねをしてうまくなっていく、そういう経験がこの時期の子どもたちにはもっと必要なんじゃないかなと思うんです。だから私も、七夕飾りとかクリスマスの飾りとかを保育時間内にやったりすることがあるんです。ある時、教育実習生に『どうして子どもが帰ってからの時間にやらないんですか』と言われたんですが、それはわざとなんです。ハサミでちょきちょき切ったり貼ったりしていると、子どもたちが何人か周りに集まってきて『何してるの』と聞いてくる、それでもわざと忙しそうに『七夕飾り作ってるの』とだけ返事すると、じーっと私の手元を見ていて、しばらくすると『私もやりたい』と言ってくる、そしたらそこで初めて『じゃあハサミはここにあるからやってごらん』と言って道具を貸してあげる、でも教えはしないんです。大人から教わるのではなく、自分から『やってみたい!』という気持ちを持って、じっと観察してマネをしてやってみる、という経験をさせたいんです」

そうか、息子たちはこんなにも愛情深い先生方のさりげないサポートの中で、あの豊かな幼稚園生活を送ってきたのだなと、迂闊にも次男も卒園して数年経った頃になって、美登里の保育の高い理念に唸らされたお話だった。

こうして思い出しながらパソコンに向かって書いていると、美登里幼稚園で過ごした時間は、子どもは言うに及ばず、保護者にとっても大切な学びの場となっていたことに気づかされる。そしてそれは、先生方の、より豊かな経験を子どもたちにさせてやりたいという愛情に裏打ちされた保育姿勢によるものだったと思う。

今、コロナ禍でその子どもたちの学びの時間が奪われている。子どもが育ちゆく時間は二度と戻らない大切な時間であり、目に見えないだけに、経済よりもずっと貴重なかけがえのないものなのではないか。いささか乱暴な物言いになることはお許し頂きたいが、お金で解決できることはお金(補助金、支援金)で何とかして(そのための税金である)、行政には、子どもや若者の大切な学び・成長の時間を確保することにこそ心を注いでもらいたいと、あの幸せだった幼稚園時代を思い出すにつけ、願わずにはいられない。     

2020年の見学会は9月4日より、
1日6組限定で予約を受け付けています。
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TEL:03-3943-1879